読書ネタ(2.5題)

  • 2013/06/19(水) 23:40:23

ここしばらくの間に読んだ本のこと:


1.「助けてと言えない -孤立化する三十代-」

http://www.amazon.co.jp/%E5%8A%A9%E3%81%91%E3%81%A6%E3%81%A8%E8%A8%80%E3%81%88%E3%81%AA%E3%81%84-%E5%AD%A4%E7%AB%8B%E3%81%99%E3%82%8B%E4%B8%89%E5%8D%81%E4%BB%A3-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-NHK%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%97%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E5%8F%96%E6%9D%90%E7%8F%AD/dp/416783863X/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1371649293&sr=8-1&keywords=%E5%8A%A9%E3%81%91%E3%81%A6%E3%81%A8%E8%A8%80%E3%81%88%E3%81%AA%E3%81%84

 私が30代かどうかはともかく(笑)
NHKスペシャルから派生するこのライン..「孤立死」とかのネタも、
ここ数年私の個人的なお勉強の一環として目を通していました。

 この世代は..

 ”上の世代”の連中が好き勝手にやり散らかした
莫大過ぎる規模の失敗やツケを
「将来に渡って」背負いこまされ、
そのひずみから来る職務上の無理や無茶に耐えられない者は、
その問題を「自身の責任/能力のなさ」と断罪され、
一方でろくな指導を受ける間もなく過剰な成果主義を押し付けられ、
他社はおろか他部署や同僚、
同期とも協力より張り合うことを求められ..

 そうした日々が常態化する中でいつしか、
家族や他人に愚痴ったり、
助けを求めることも拒否するようになって、
あるとき一挙に社会からドロップアウトしてしまう。

 自身の犯す失敗を
「全て自己責任」と言い聞かされて育ってきて、
他者や社会に迷惑をかけることを異常に嫌う。
それを為すことも、他者に助けを求めることも、
「恥ずかしい」と感じる。感じさせられる。
故に厳しい状況でも我慢して、抱え込んでしまう。
 本当に切実に、助けを求めているときでも、
「助けて」と言えない。
そうしたまま、ふとしたきっかけか(リストラとか介護とか)
から普通の生活をドロップアウトし、
そのまま..どのセイフティネットにかかることもなく、
時に命を落としてさえ、しまう。

 それはひょっとしたら、
極端なひとの極端な例なのかもしれないけど、
そうして苦しい思いをしているひとたちの話は..
個人的にも大いに考えさせられるのでした。
 
 まぁ..そういう素因
(自罰的とか真面目すぎるとか要領が悪いとか)
をもった人間が、そういう環境
(小○政権以降特に顕著になったけど
 それまでも潜在的にはずっと続いてきた、
 失敗を自己責任とするような意識を
 押し付けるような教育や社会の在り方)
にさらされて、
やや過剰にそういう意識状態に陥ったときに..

 そうした極端な状況が出現するのだろうけど。


 心配にはなります。

自分の関わっている子
(*達の中の..まぁ「真面目な一群」)が、
そんな風に..他者に押し付けるイメージにいいように操られて、
そういった形で..
社会から、世界から容易に「外される」未来というものを。
(残念ことに..おそらくこの先数十年、
 社会はこうした傾向をより先鋭的にしていくものと、
 私は想定せざるを得ない)

 発達と適応の過程で、勿論児にとっての、
その児の能力に応じた「自立」というものを模索することは、
療育の仕事として、あるのだと私は思っています。

 でもその自立の過程で身につけるスキルの中には
確実に
「”自分のできないこと”を自分で自覚すること」
「できないこと、知らないことは他者に聞いたり助けを求めること」
(*同時に..一方で過度にそれに依存しないこと!)
という部分があるのであり。
 ..そうして他者と関わることも、
また「自立」の一部であるということも、
子どもたちには教えてあげたいなと思うのです。

 社会の方が知らずに「自己責任」を押し付けようとしても、
時にはそれに対抗してでも。

 まぁ..「真面目な一群」にはね(笑)
そうでない群には..日々
真面目にやれ!」て、言うでしょうね、きっと(笑)


2.「ウルトラマンが泣いている-円谷プロの失敗-」
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%81%8C%E6%B3%A3%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E2%80%95%E2%80%95%E5%86%86%E8%B0%B7%E3%83%97%E3%83%AD%E3%81%AE%E5%A4%B1%E6%95%97-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%B0%E6%9B%B8-2215-%E5%86%86%E8%B0%B7-%E8%8B%B1%E6%98%8E/dp/4062882159/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1371650332&sr=1-1&keywords=%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%81%8C%E6%B3%A3%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B

 まーなんつーか。
天才である創業者の仕事を「きちんと継ぎきれなかった」
(私は某野球監督の息子とか..「天才の子ども」を目にすると
 いつも「回帰の法則」という言葉を、思い出す。
 要するに天才の子どもは、宿命的に、
 ”天才が半分程度に薄まっている”状態なんだよね)
能無しな創業者一族の繰り言なんだろうなと思いつつ..
(*まぁそういう本、という性質は実際にあるのだけど)

 読んでみたら、実に意外に、よい本でした。

 著者の語り口が基本的に誠実で素直だからでしょう
(実際にそうなのかは別にして)。
 まぁ私がウルトラマンシリーズを好きで、
それを見続けているからこその面白さというものもあるけど、

..この作品製作の裏で、こんなお家騒動が(笑)
とか..こういう事情でこういう傾向の作品になったのね、とか。

 勿論この本で書かれている事柄は、
その一族の一人の人間の立場から書かれているだけで、
その他の(まぁ本作で悪役に挙げられている)
人たちの意見というものも、
当然他にあるのだろうけれども..


 でもまぁ、先人の築いた偉大な、偉大過ぎる財産に
ただ「乗っかっちゃった」ひとたちの生き方の..
無様さというかしょうもなさというか哀しさというか..
そういうものについては、考えさせられました。

 そういうひとたち、何かを「継ぐ」ひとたちにだって..
勿論そういう立場のひとなりの悩みとか懊悩とか、
特有のコンプレックスとか?
 あったりはするのだとは思います。

 でも結局..他人が生み出したものをネタに、
それを土台にして、
それに乗っかっちゃった状態からスタートしていて、
それをマネージメントする程度の仕事で..
そこで一時ちょこっと(*て本書だと億単位とかだけど)
利益なり結果を出したとしても、
それで自分に経営者としての才能を見出したり、
精神的に創業者級と同列に扱いたくなるとかって..

 それって他人から見ると
実にちゃっちぃセンスなんだけどなと思ったり(笑)
(まぁ当人の中になまじ..
 そう思われているんだろうなって気付くセンスがあると、
 なおのことそれがコンプレックスになっちゃうんだろうけど..)

 マンガ「ナニワ金融道」の終盤で、主人公が創業社長に
「自分はこれまで社に○億の利益を出した!」
 と突っかかったら
「ひと(俺=会社)の資金を背景に、それをちょいちょいと動かしただけ。
 ○億を0から生み出したわけではない。
 お前の言う稼ぎなど、その元手がなければ決して出せることではない。
 調子に乗るな」
てな感じで軽ーくいなされた描写があって..
そうなんだよなーそれを取り違えてはいけないんだよな、と思いました。
(まぁひとは、しばしばそういう認識上の誤りを犯すのだけど)

 私は、物事をマネージメントすることと、
物事を生み出すことの間には、
とんでもなく差があると考えています。
それは私の出自というか..
育った在り方にも影響があるのかもしれないけど。

 何かを一から「創造する」ことの困難さと偉大さを思えば、
それとマネージメントすることとを同列に扱うことなど、
できはしない!と思うんですけどね。
(勿論創造することとマネージメントすることは「別種の才能」であり、
 両者が個人に同居することは往々にしてなく、
 それぞれが等分に優れた才能であることは認めるけど。
 でもまぁ、「創造側の才能の方が他方よりも遥かに希少」
 ではあるよね)

 だから私は、何かを生み出す、生み出しているひとのことは、
そんなに批判しない。
その作品も。映画でも本でもその他でも。
そんなには(*まぁ..例外は少しはあるけど)酷評できない。
何を作る、生み出すって、大変なことだと思うから。
それをある程度の形になるところまで「作った」という行為自体、
評価できると思うから。

 継承する者が、そういった創業者への崇敬の念を持ち、
「それを継承している」という行為を選んだその時点で、
自身がその後どんな功績を挙げたとしても!
その結果など大したものではないし、
ましてや創業者とその自分を同列に扱うべきではない
と理解さえしていれば、
その程度の謙虚さをもっていれば..

 もうちょっと..この本で書かれたような状況とは、
異なる状況になっていたかもしれないなと思いました。

 ま、私は創業者一族が現在関わっていようがそうでなかろうが、
(とりあえず著者は初期の
「ウルトラマン」「セブン」辺りを絶対視して、
「水戸黄門のように」
その流れをそのまま続ければよかった、という立場なのだけど)
スポンサーの意志を反映する類の
商業主義の影響を受けていようが受けていまいが..
 それでもその中でひとの心、子どもの心を動かす、
よいエピソード、よい物語が生み出されるのであれば..

 今のウルトラマンでも別にいいやと思っています。

 結局そうなった今だって、
優れた作品は生み出されているし、
おそらくはその制作過程で、
本来の創業者(円谷英二)への敬意を持ち続けている、
クリエイターの意志というものは、
今も残っているのだと思うので。

 謙虚さって、大事です。いつも。
天才でないただの、ふつーの、多くの、人間にとっては。
(まーでも「謙虚さのないひと」って..
 往々にして自分そこそこイケてると思っているからこその
 謙虚さの無さ、なのでしょうけど)


3.「反省させると犯罪者になります」
http://www.amazon.co.jp/%E5%8F%8D%E7%9C%81%E3%81%95%E3%81%9B%E3%82%8B%E3%81%A8%E7%8A%AF%E7%BD%AA%E8%80%85%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%99-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%B2%A1%E6%9C%AC-%E8%8C%82%E6%A8%B9/dp/4106105209/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1371651791&sr=1-1&keywords=%E5%8F%8D%E7%9C%81%E3%81%95%E3%81%9B%E3%82%8B%E3%81%A8%E7%8A%AF%E7%BD%AA%E8%80%85%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%99

 あ、これは読んでいません(笑)

「タイトル考えた時点で、
 創造エネルギーの8割くらい消耗したのでは?」
ラインの本の気がするので、正直読む気になれない。
(そうでなかったら、著者に大変申し訳ありませんけど)

 でもこのタイトルを目にしたとき..
私は職務上「反省」というものを、
子どもたち(にも大人たちにも)に求めたことは..
ないなぁよく考えてみたら、と思ったのです。
仕事上「反省しろ」とか..「反省」という言葉自体、
ろくに使った記憶や感覚が、ない。

 「反省文」というものを..
少なくともそういう体裁の文章をとして、
そういうものを書かせた記憶も、ない。

..多分シライもそうでは?と思います。

 「反省させる」ことそれ自体に、
指導的に意味があるとは、私は考えていないようです。

 誰か..保護者の方等で何かご自分のこれまでの関わり方について
「反省せねば」といったようなことを口にされた際、
「反省することで改善できるなら(反省)した方がいいですけどね」
といったような反応をした記憶は、過去にあるけど。
(しかし..臨床心理士にあるまじき素っ気ない物言いだよなぁ..)

 反省するという行為が、自尊感情を弱める。
それは多分、事実でしょう。
(反省したことを即座に大人が指摘して、
 それを褒めれば、やや話は別ですけど)

 どういう形であれ
「自分は悪い子だ」という思いを子どもに持たせること、
それ自体についてポジティブな側面があるとは思えない。
それは当方のような「指導的」対応を行う場であったとしても。

 「それは悪い行為だ」ということは指摘するし、指導もするけど。

 それがどのような状況であっても
「それをすることは不適応的であり、
 それをし続けることで、君自身が損をする

 という論理に結び付けていくことが、
当方では多い気がします。

 というか最近私が職務上行った..
説教なり指導の類は、殆どそんなでした(笑)

 恥ずかしいとか悪いとか親が悲しむとか..
そういった部分についてアプローチをかけるよりも
(当該児が”そう指摘されて傷つくセンス”があれば、
 それは勿論そういう部分にもアプローチしていくけど)

 「そのように振る舞うと、結局君が一番損するよね!

という論法が、一番スっと胸に入っていく..
そんな児が、うちには多い気がします(笑)

 私もきっと、そんなだし。

 というわけで。

クリップでは「反省」は、それほど重要ではありません。

 重要なことは何らかの不適応行動が生じた際に、
どうアプローチしていくことで、次に同じ不適応行為が
生じづらくさせるか(反応頻度を落としていくか)
に対する選択なのであり..

 その選択肢として「反省」は..
そんなになくてもいいかな、と。

 極言すれば..
反省しようがしなかろうが!
以後同じ問題行動を繰り返さなければ、
それはそれで全然、いいわけで。

 というのはやっぱり、行動主義者的発想、なのかも。

..助けてイメージ

自閉症 / 映画

  • 2012/11/29(木) 23:03:16

..11月の更新はこの1回になりそうです。
一応ネタとかは用意していたのですが。

 まぁ..いろいろ大変でした、今月は。

 先日某海外ドラマを見ていたら、
ストレスの大きな3大人生イベント
(*正確には「自殺の引き金」と言ってた気もするけど..)は
「死別」「離婚」「引っ越し」の3つなのだそうで。

 で、その引っ越しは..
結果的に順調に運んだものの、
その前後で自分なりに完璧な遂行を目指す中で、
かなり、無理をしていたのかもしれないなぁと思いました。
(昨年の引っ越しは、荷物がほぼ無い状況だったし..
 内実はともかく行動強度レベルでは
 ”夜逃げ””逃避行”程度だった)
 業者さんには
「当日朝の時点でここまで完璧に準備できていたひとは、
 最近では珍しい!」と褒められ。

 そんなこともあり..
その前後に腰も痛め、風邪もひき(笑)
まぁいろいろと、疲労が溜まっていたのでしょうね。


 本題:
私の趣味のひとつは映画や小説やマンガ等で扱われている
「自閉症」の収集なのでした。

 とはいえそれこそ「レインマン」的に、
まっ正面から扱うものは
(*個人の趣味としては)外したいところなので..
どちらかといえばまさかそのジャンルで!そんな扱いで!
という感じの微妙さが好きです。

 一方で軽度発達障害扱いのひとなど(以前にも述べたように)
ひとを扱った創作物の中では殆ど当たり前のように、
登場し、扱われてきたわけですけど。

 最近はその傾向がやや強化され、より意図的に扱われることも
増えた気がしないでもないです。

*「悪の教典」(の原作)では、主人公の
 共感性の欠如がサイコパスに繋がるような、
 かなり明確な描写があって、
 おいおい大丈夫かよと思わなくもなかったのですけど。

というわけで、比較的最近..今年に入って収集した映画2題。


・「チョコレート・ファイター」
 2008.タイ.日本では2009年公開

一応主人公が自閉症で、その特異な才能
(目にした動作をそのまま模倣できる)で
戦うって話は知ってはいたのですけど。

 それでも自閉症はあくまでネタで、
そこそこ笑かしにくる映画かと思っていたのですが、
全編予想以上にシリアスなトーンで、
戦う事情もそれなりに真面目。
しかも意外なほど真剣に、
自閉症やその症状、
動きかたや感覚世界を扱っているので、
少々驚きました。
 少なくとも制作側が結構まともな指導を受けたか、
関係者に自閉症者が関わっているか、どっちかでしょうね。
 幼児期を演じるゼンちゃん(主人公)たちも、
顔も演技もなんかそれっぽい。

 そしてそのバトルは無論..
超絶レベルなのでした。
でもまぁ今時のキレキレな演出/編集の
映画を観慣れている身としては、
いちいち戦いが長尺過ぎる/多すぎる 
気もしなくもないですけど。

 とはいえ終盤の..
「自閉症 vs 発達障害っぽいひと(笑)」
のバトルは、なんか燃えます。
(..発達じゃなくて精神系かもしれないけど)

 ..いや、やっぱり凄い気迫です。
作品自体に向けられる熱が、凄い。
終了後に流れる、
NG集ならぬ 「つい当てちゃった集」映像を観るに、
今時タイ映画の気迫を思い知らされます。
すんげー痛そう。
井上真央似の主人公ジージャーさん、頑張り過ぎ。

そんな映画に阿部寛が重要な役で出ているのも、素直に嬉しい。


・「ミミック」1997.アメリカ *モンスターパニックものです

 別に虫は..好きじゃないというか。
ゴキブリは嫌いですけど。

 それが「ただのでっかい昆虫」ではなく、
遺伝子操作とそれ自体の”進化”の産物であること
(その基礎となったシロアリもカマキリも、
 ゴキブリの近縁種なんですってねぇ..ふー。)、
そして”捕食対象”に「擬態」すること!

 このアイディアは実に秀逸だし、
その戦闘能力と相まって、
「地上に出たら本当にやばい!」感を盛り上げます。
登場人物も、作りこまれていて好感触。
皆結構好人物だし。

 そして自閉症児が..
(*劇中で自閉症と言葉では言われていないけど、
 かなりモロな感じ)
ここまできちんと扱われたホラージャンルの映画って、
個人的には初めて観た気が..
 そのチューイくんについては、
 中盤”ああゆう”展開になって
「こ、殺しちゃったわけ?」
と(立場上)マジで気分が沈みました。

 終盤の終盤まで、
結構本気で手に汗握る展開に持ち込めるあたり、
流石ギレルモ・デル・トロ
(「永遠の子どもたち」はやっぱり名作)
の手腕なのでした。

ミミック

ちいさな哲学者たち

  • 2011/07/21(木) 23:08:33

 http://tetsugaku-movie.com/index.html

 観てきました。評判がよいので。

 4-5歳になる時期の幼稚園児の
”哲学”的な議論を大人が方向付けし、
その過程を外観するというのは..

 発想自体単純に面白いと思ったし、
私の.. 比較的最近の仕事上の興味の対象(=道徳観の形成と発達)
にもひっかかるもの、なのでした。

 まぁ..
この作品については
「観てみないと分からないもの」だとは思うし、
「…やっぱフランスだよなぁこのテのものは」
という気もするのですけど。


・予め予想はしていたことですが、
 下手に「適応」して、
 或いはその他個人が属する世界の価値観や行動スタイルを受け入れた形で、
 発想や思考がある程度固定化/硬直化しちゃっている大人よりも、
 その種の観念にしばられない子どものほうが、
 より純粋に哲学的な問題を扱うことができる、のですよねぇ。
  私はそういった、よりプリミティブな形態での
 子ども(まぁ今回は定型発達児)の思考の在り方を見たかったのであり。


・それにしても..
 哲学というものを扱おうとすると
 やっぱり!表象(イメージ)機能が、
 そのとっかかりの部分で、どうしても重要になってくる。
 当たり前なのだけど、哲学的思考には、
 想像力(仮定状況について思考できる機能)は必須であり、
 とりあえず「実際に目の前にあるものしか扱えない」程度の、
 (表象機能の)発達段階では..
 今回示されているような議論には
 到底対応できないわな、と思いました。
 (実際子どもたちの中には、
 明らかに議論に対応できている子がいる一方で、
 そうではない子たちも一定数いた、ようなのでした。
 それには後述するような環境の要因も大きいのだろうけど)
 
・当の指導者は(作品序盤に仄めかされているように)、
 「幼稚園教諭に必要か?」
 と周囲に一瞬思われる程の”修士号持ち”の先生
 (個人的にその指導のスタイルは、そんなに..好みではない)
 なのだけど。
  幼稚園児への哲学講座となると、
 どうしても問題になるのは、
 「○○が正しい」「△△って発想は、よくない」
 って部分について、指導者として
 最終的にはどうしてもある程度は持っていかざるを得ない
 そういったところなのでした。
 
 道徳観念を全く無視したところにある、
 真に純粋な哲学的思考を扱わせるのは、
 やっぱりまぁ「教育」の現場としての限界があるんだよなぁ、と。
 
  私が近年重点的に検討しているのは、
 その種の..「善悪の観点を超えたところにある」思考、なのだけど。

*仕事上の私は
「それなりに」常識的だし道徳的に振る舞う(と思う)のだけど、
 そうではない私は..
 「…なぜ○○をやってはいけないのだろうか?」
 といった感じで、世の常識とされる様々な事柄にについて、
 かなり根本的な疑問を持ち続けている所も、
 今もって多かったりするのです。


・とはいえ1年間、週1回の指導セッションを繰り返す中での、
 子どもたちの哲学的素養の発展振りは、凄まじいものであり。
 最初は全然議論や指導者からの問いかけにノレなかったり、
 せいぜい親の言い分をそのまま述べていたような子たちが
 どんどん..正に哲学的な思考形態に対応し、それにハマっていく

*それで子どもたちが「良い子になった」とか
 「問題行動が減った!」とかいった、
 イヤらしい(と私は思う)視点を一切示さないのは、
 この作品の真に素晴らしい点だと思う。
  哲学的思考というものは..
 単純にひとを「よく」或いは「適応的に」するものではないと、
 個人的には思っているので。
 
  とりあえずその種の思考が「在る」
 ということを大人が身をもって示してやり、
 子どもたちのその種の思考それ自体を認めることは、
 基本的に大事なことなのだと思います。
  なおかつ幼稚園のみならず、日常的にその種の思考や、
 そこから派生する子どもからの疑問に
 きちんと応じる保護者の姿勢とか根気とか..
 大人がそうして、子どもに適切な
 「思考に適した環境」というものを
 いかにして与えうるか、ということは、
 この種の素養の発達に際して、
 決定的に大事なことであるということも、
 この映画を観て、大いに理解できたのでした。
  まぁ大人が子どもに「哲学的な」環境を与えようとしたら、
 やっぱり時間や体力にゆとりをもてないといけないし、
 そうするとそれを保証するお金もそこそこ必要だったり..
 するのかもしれませんけどねぇ。


・つくづく思うのは、日本ではこの種の..
 「哲学」に関連するような教育というものは、
 そもそも基本的に行われないし、
 その機会も少なければ水準も低い、ということ。

  この種の映画を観にくる以上、
 幼稚園辺りを中心に「教育関係者」って感じの観客は多いわけで。
 帰りがけにそんな園長?的な方が、同行者に

 「(この試みは素晴らしいけど)でも頭でっかちなだけの子もねぇ」

 と述べており。

 個人的には
(*”まぁ私は多分頭でっかち”という自覚から生じた反感も
 あるのだろうけど)

 「教育機関の施設長ランクのヒトが、この映画を観て!
  その程度の感想しか..出てこないわけ?


 と密かに愕然としたものでした。

  総じて国民性としての「哲学のなさ」というものは..
 それ自体が日本人の国民性なのでは?と言いたくなるほどで。

  要するにいい大人が、自分独自の発想とか、
 人生における様々な”重要案件”について、
 「自分の」意見や考え、それらを統合する”思考のスタイル”を..

 持っちゃぁいないんだよねぇ実際。
 (勿論私にしても、
  思考してなかったり意見を持っていない事柄は沢山あるし) 
 そういったスタイルを持たなくても、別に困りもしないし、
 実のところその種の素養を持っているヒトこそ、
 下手をすると生きづらかったりすることもあるようで..
 
 そのような「環境」においては..
 哲学なんてーものを持たない方が、
 適応にはプラスだったりするのでは?とすら思えます。

 そもそも大人の側に哲学的素養なり経験なんてものが無いのだとしたら、
 その意義や重要性もをを子どもに伝える意義も、見出だせないであろうし。
 それを子どもに教えるなど、
 能力的にも技術的にもどだい無理な話なわけで。

 …これがかなり皮肉なもの言いであることは、自覚していますけど。

 
 私は..
自分がこういう仕事をしているからか?
こういう立場(笑)に居るからなのか?

 様々な事柄について「自分の」意見をもつこと、
物事に基本的に疑問を感じつつそれを扱うこと、
自分でその疑問に向き合うための思考形態を作ること..

 大事だと思うのですけどね。
 
 世の中が平和で、満ち足りていて、
政府なり行政機関なり個人の属する企業なりが、
市民の側にとって信頼に足るものである時代には、
(*まぁそんな時代があったのかどうか、知りませんけど)
或いはその種の”疑いに根差す”
個人個人の独自な思考などというものは、
不要だったりするのかもしれないけど
(まぁそれを別にしても、上記したように
 日本には”頭でっかちより従順”
 の方が好まれる国民性ってのは、今も普通にあると思う)。

 でも今はこういう時代だし、
ひとがひとりひとりで困難に立ち向かわなければならないときは、
おそらくは当然のように、誰にとっても巡ってくる。
そのとき..哲学的思考というものは、
やはりひとの生にとって意味をもつのではないか?とは思うのです。

 でもこの種の哲学指導?って、
まぁ仕事的にはなかなか導入しづらい(笑)
*単純に「(上記したように)適応上の効果が見えづらい」上、
 短期的には児の適応の水準を下げる可能性すらあるので。
 (と、映画を観ながら私は思っていた)


 あとはまぁ単純に哲学の意義として..
「物事について深く考える」ことは、
人生(のある側面)を豊かにしてくれるのではないかな? と。

キリアちゃん超かわいい