人間学講座?

  • 2008/08/30(土) 23:10:33

人間学講座?を実施。

今回は頭部(特に顔面)の構造と、表情について。
個人的には前振りが終わってようやく本番、という感じなのです。


「軽度発達障害及び自閉症圏の子どもは、
表情に関する各種の処理能力が低い或いは拙い」
というのは近年の発達障害に関わるトピックのひとつで、
特に最近はfMRIとかで、
表情課題(提示された表情を識別する)をさせている状態の子の
脳の活動(賦活)状況をダイレクトに観察するような、
実に羨ましい研究例もあり、
(こういう研究は医学領域じゃないとできない!のが羨ましい..)
上記の様な研究により、
「どうも、表情処理の最中に(発達的にノーマルなひととは)
異なる脳の部位が賦活されている(活動的になる)か、
或いは処理中でも賦活反応自体が少ない/時に生じない」
といった「傾向」(結果ではない)がポツポツと指摘されています。
(但し、脳の機能の仕方など、そのものが個々人によっても
大なり小なり結構異なるものなので、
一概に言えるほどの強い例証を得ることは難しい)

…子どもと接していてそれ↑を実感することも、
まぁなくはないのですが、
職務の中でモロに表情処理をさせる
(沢山の顔画像を提示して、顔を識別させたり表情を当てさせたりする)
ような課題は、まぁ普通の相談機関ではまず!やらないものなので、
実際のところどうなの? とはかねがね思っていたのです。
 それに、表情以外の情報を排除した、
「表情処理のためだけの顔画像」って、
かなり作るのがめんどくさくて、
相談の場面で準備するのはとてもとても..

と思いつつ、今回の講座資料を作るにあたり、
様々な表情画像についてnetで資料を漁っていたら、
某所に莫大な表情画像の、
しかも無償配布のデータベースを発見してしまった!
正に修士論文のテーマが「知的障害と表情処理」だった私としては、
正直そのときに!欲しかったぁぁ!なのですけど。

…で。
今後は相談/指導の場面でも徐々に確認を進めて行きたいとは思うのですが、
どうもやっぱり、子どもによっては私の想像を超えるほどに!
しかもその子の知的能力とは関わりなく、
とても表情判断(目の前のひとがどういう表情をしているか)
が苦手!ということはあるのだなぁと改めて実感しました。
 そうであることが把握される以上、
こちらから積極的に、表情に関する知識と表情判断の方法論を!
(まあ発達的に普通の領域のヒトは無論何も学ばずに会得するんですけど)
教授したり指導したりする必要があるのではないかなぁ、
と考えた次第です。はい。

まずは
・表情ってものがあるんだよ
・それが分かってると、すごくひとの気持ちが分かりやすくなって、
 あなたとしてもすごくいいことがあるんだよ
ってことをきちんと知らせること、なんですけどね。


講座?01

講座?02

修理 / 説明

  • 2008/08/28(木) 23:28:38

…数日前、またしてもPCが壊れた(笑)
今度は自宅のなんですが、まだ買って1年も経ってないのに..
自宅で真剣に仕事することも多いので、これは「死活問題」と判断し、

1)速攻で近所のPCショップに持ち込む
2)諸般の事情
 (BTO販売のPCの場合、修理費用も高くつくし、
 それ以前の診断だけで数万円飛ぶので、と説得された)
 で、手付かずのまま帰還
3)販売業者サポセンとの電話接続を維持しつつ動作チェック/問題点の検討
4)→結局自力で直す

…とまぁ、実に24時間くらい!ブっ通しで働きました。
PCの修理って、頑張っても!お金にならないのが悲しい..
しかも「直った」だけで、何一つ作業が進んでいないってのが、
すごく空しい..


今回考えたことは以下の二つ

1)
 結局PCが起こす問題への対応って、
「問題の原因が何であるか」を考察する過程に尽きるのです。
いろいろな手続きを踏みながら、それが

・ソフトウェア的な問題なのか?→ならばどこが?
・システムの問題なのか?→ならば何が?
・ハードウェアの問題なのか→ならばどこが?
(…更にユーザーの練度によっては、これに
・操作上の問題 
 という項目も付け加えられる。
 真面目な話、今のご時世これが実際一番多いのでは?)
 
 を検討し、ひとつひとつその可能性に沿った
具体的な検討作業(診断プログラムを走らせる、とか)
その他の手続きをとりつつ検討/検証をかさね、
ひとつずつ「これは違う」と思われる選択肢を潰していく
→最終的に主たる原因を見出す。
→具体的に原因を修正する
(これがハードウェア的な問題であれば、
 当該パーツの交換か、業者に出すしかない)

という過程。

 ある問題(子どもの行動上の問題とか)を解決するにあたっては、
・問題の主たる原因を仮定する
・その原因が真だという可能性を検討する
・検討が概ね正しいと判断されれば、
 その主原因を取り除く/改善する作業を進める
ということになります。

 大事なのは常に、やみくもに問題と対峙するのではなく、
その前に「何が問題なのか?」「どうしてそうなったのか?」
の見通しや予測をもって、
問題の所在を精確に追求する側面なのだと思います。

 PCの場合がそうであるように、
与えられた(大概の場合、当初はかなり限られた)情報から、
考えられる可能性を検討して、
主原因のアタリをつけ、それに基づいた動きをとる。
そのセンスがあるひとが、
当該分野における「専門家」を名乗れるのかなぁと思います。
 そのためには、問題解決志向的相談/指導の場面では、
(*カウンセリングは違う)
「ただ物事をありのままに見る」のではなく、
経験を積み、その経験に基づいたある視点=仮定に沿って、
物事を見るセンスが必要になるのだと思います。

 で、PCショップの店員さんも業者のサポセンのひとも、
やはりこの領域で日々経験を積んでいるので、
当方から与えられた情報で
「○○って動作をしてるなら、××が原因って可能性が高い」
等と見切るセンスは、やっぱり私よりもずっとずっと高い!のです。
(今回は残念ながら両者の見切りとも、
 正しい回答には至りませんでした。とはいえ、
「○○がきちんと機能していることから、××の不具合とは考えづらい」
という感じで、私がムダな方向に努力するリスクを、
ある程度軽減してくれたので、とても感謝しているのです)

 …ただ発達的な問題は、PCや機械の問題とは異なり、
主原因がひとつないし幾つか程度ってことは滅多になく、
個人の素因/環境/個々の対応と、いろいろな要素が絡み合って
進行するものなので、
そう綺麗に、上記のような仮説検討的な対応で
功を奏するでもないのですが。

 でも私は、それこそPCを修理するときのように慎重に
(実際の相談場面ではそうはいかないけど)、
ひとつひとつの仮説を検討し、修正をかけ、
「問題を潰していく」といった考え方/アプローチを好んでいるのです。


2)
 近隣のPCショップにぶっ壊れPCを運ぶにあたり、
 久しぶりにタクシーに乗ったのですが、
 先方が行く先の地域を把握していない、
 私も地図はざっと見ておいたけど初めて行く(笑)
 という展開で、道の説明はかなり難航しました。

 このことと、先の
「電話でPCの状況を説明し、サポセンからアドバイスを受けつつ作業行う」
 対応はどちらも、
 かなり高度な「説明」の実用例なのだなと思いました。
 なんというか、アタマの中のいつも使っていないところを駆使している、
 その感じがなかなか楽しい(笑)

「説明」って簡単にいうけど、その前提として、

 説明者には
・自身が、問題状況に対する一定の、
 (それこそ辞書的な説明が出来る程度の広範な)理解を有する
・説明する相手の、同問題に関する理解の程度を把握する
・上記に必要な言語能力と語彙力をもつ

 ことが求められるし、
 更にそれに合わせて被説明者も

・問題状況に関する概論レベルの知識を有する
・説明者の当該問題に関するスキルを推定する
 (↑当然だけど、これが被説明者→「助言者」になると、加えて
・熟練者レベルの当該問題への知識と経験
 が必要になる。)
 
先の例で言うなら、
・私は説明する対象である運転手さんの近隣の地理に関する知識を
 類推しながら、言葉や分かりそうな地名/ランドマークを選びつつ
 説明を行い、時にその言い回しを変更したりする
・PCサポセンのひとは、私の話し振りや実際に相談に至るまでにした
 (と、私が述べている)作業過程から私の力量を判断し、
 それに合わせた語彙を使ったり説明の仕方を変えていく
という処理を行っているわけですね。

 更に言うなら、説明の前提となるのは「他者視点」
(他者が自分と同一の人間ではない、故に常に他者には説明が必要である!
 って感覚を日常的に抱き、維持し続けるセンス)
 です。
(*但し絶対必要条件ではない。他者視点が拙い状況の子にも、
 説明の技術を入れることは不可能ではないので)
 これこそ、特定の児/ヒトにとっては身につけるのが困難な技術で..


…説明って、ほんっとに、大変ですね(笑)
といいつつ私だって、自分の領域で年がら年中
「説明」しているわけでですけど..
説明すると「アタマ使ったなぁ」って気分にはなれますもんね..

 「説明する」って機能が、経験を積む中で、 
個人の頭の中である程度上手く
動作するようになっていれば、
その当人の中の発達的な問題ってものは、
「かなり適応に近づいた」とは、言えるのではないでしょうか?


 私は、
知的な発達上の問題であれ、そうでない発達上の問題であれ、
?「同年齢級に相当する説明能力」
は、
?「同年齢級の他児とストレスなく遊ぶ」
という能力に並び、
 「療育の究極的な目標」であり、
それに至ることは、決して!
容易いことではないのであるなぁ、
と思う次第です。

*?は、発達上の問題があろうと楽にこなしてしまう子もいるけど、
 ?は当人に発達の問題があるならば、必ず絡んでくる問題だと思う。



PC修理(の、イメージ)

犯罪と..

  • 2008/08/19(火) 23:46:58

NHKの福祉ネットワークを久しぶりに見る
*いつも見るわけではなく、気になるテーマのとき、偶に見てます。

本日のテーマは「知的障害と犯罪」

個人的には物事を正面から捉える
(例えば「知的障害/発達障害をどうする?」とか)よりは、
それら「(特定の)障害と○○」という切り口の方が、
具体的な問題や対応法が出てき易いし、
安易で耳触りのよい奇麗事に落ち着かないので、好きです。
で、ヒネた私としては
「犯罪と障害」というテーマは結構気にかけているところなのです。

番組には、数年前に読んだ「自閉症裁判」の著者
(彼の立ち位置や考え方が気に入り、その後著書数冊を追いかけた)、
佐藤幹夫氏などもコメントしていて、なかなかお得でした。

…採り上げられた論点はかなり多岐に渡るのですが、
個人的には

1)知的障害を伴う犯罪者の80%が事件当時無職
 (かつ、往々にして身寄りがないなど人間との接触が希薄)であるという事実
2)知的な問題が軽度で、自身も知的な障害をもつことを知らないまま、
 ケアを受けずに大人になっているというケースが多い
 *手帳制を基礎におく日本ではこの種の"ケアの谷間"は、
 常に問題の焦点で(当然軽度発達障害もここに収まるので..)。
 番組内でも、これまで軽度の知的障害をもつひと向けに
 丁寧なケアを行っていた入所施設が、
 支援法の下で行政から必要な支援を受けられなくなり、
 経営難に追い込まれるという件が語られる
3) 2)の場合、事件を起こしたことで、初めて知的障害の可能性が見出され、
 以後適切なケアを受けるという例もある

について。

1)人との適度の接触が維持されることは、やはり大事だと思いますが、
 個人的にはそれ以上に、単調で目的意識を欠いた日々を送り続けることで、
 ひとは社会と自己との適切な関係性を把握する機能が不調をきたし、
 一方で、その日々の中で枯渇していく「刺激」
 (ひとによっては深刻な物品の不足ってこともある)を求め、
 犯罪など各種の逸脱行動を起こす、というモデルを重視します。
 ↑大学の頃に読んだコリン・ウィルソンの書物の影響が強い
 発想なのですが、実際私もそんな時期を送ったことがあり、
 その際にはかなり、今思うと「普通でない」感覚を自覚したものなのです..
  ひとにとって「居場所が必要だ」というのは、
 実際にはそこから得られる「刺激」が、
 (この場合人間との接触も、刺激の一部と考える)
 ひとがある程度健全に生きるのに欠かせない重要な要素、
 ということなのかなと思います。

2)長期にわたる息の長いケアというと、
 それは福祉の領域になるのですが、
 福祉だって予算で動くものなので、
 その対応範囲を決めないといけない(日本では)。
 そうなると障害を定義しなきゃいけなくて、
 それはしばしば適応の度合いではなくて、
 知的能力だったりで分けられてしまう。
  そうなると、その対応範囲に収まらないけど 
 適応に問題を抱えるひとはケアの対象から外されてしまう。
 これは福祉の根本に常にある問題なのですが..
  現在の行政の立場では↑は「仕方が無い」ことなのですが、
 実際にそれで困っている/悩んでいる個人の立場を、
 誰が、どうやってケアするのか..

3)事件を起こすということは確かによくないことではあるけれど、
 その結果として問題の実情に光があたり、
 適切なケアに結びつくような「良い面」もある 
 (…事件の被害者としては、只喜ぶというわけにはいかないけれども)。
  実際「ピンチはチャンス」であるという発想は、
 療育やケアの領域では常に有効であり、
 必要不可欠なものであると、私は思っています。
 誰かが何かの問題を爆裂させ、明確化したという状況は、
 当事者からすれば大問題で、悲劇なことではあるのだけど、
 その大きな動きを契機に、外の支援や視線が入ることで、
 問題が正統に扱われることもある。
  それほど規模は大きくないけど、
 相談や指導の場面でもいい具合に子どもからミスや不適応行動が出ると
 「やってくれてありがとう!」
 「ラッキー!!」
 と思ってることもしばしば..
 (でも顔には出さない)
 
 
  本当に難しいのは、
 「問題化しないことで、誰の目にも留まらない」
 状況なんだよなと思います。


自閉症裁判