白い春

  • 2009/06/24(水) 23:46:41

 今期はドラマを二つ、見ていました。
基本的にドラマを見出すと拘束時間が長いので、
余程興味がないと見ないのですが..
一方で内容の濃いぃ2クールくらいのドラマも、
昨今はないものようのぅと1クール売らんかなドラマにやや食傷気味..

あー土曜日のアレとか、最初っから問題外ですね。
水嶋ヒロを三枚目で使うとは何事か!と
(↑論点が違う)


ひとつは「アイシテル」
…緊張感ありすぎなスタートでしたけど..
原作マンガありとはいえ、
ある意味よくこんなドラマ作れたなぁと感心しつつ。
世の母親は見ればかなり例外なく憂鬱な気分になれるドラマといいましょうか..
真面目に見ると辛いので、大概は雑誌とか片手に斜め見していました。
個々のひとの動きや思いに関するリアリティという部分では、
正直全編「そんなわけねーじゃん」な展開なのですが..
まぁこれってある種のシミュレーションみたいなものなのかなぁと割り切りつつ。

 最終的には何らかの和解に至る、事件に関わったひとびとなのですが..
ここに描かれているのは、
極限状態に追い込まれてもひととして誠実に生きようとする、
「ひとの理想の姿」なのかな、と。

 …私であれば、自分の家族が殺された後に、
相手を死刑にするか早期に出所させて自分で殺す以外ない!
と言い切る光市母子殺害事件の被害者、
本村氏のような立場に精神的に近いのではないかと、かねてより思っているのですが。

 一方で(どちらかといえば職業的な興味から)同時期に読んでいた
「心にナイフを忍ばせて」

http://www.amazon.co.jp/%E5%BF%83%E3%81%AB%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%95%E3%82%92%E3%81%97%E3%81%AE%E3%81%B0%E3%81%9B%E3%81%A6-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%A5%A5%E9%87%8E-%E4%BF%AE%E5%8F%B8/dp/4167753677/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1245848213&sr=1-1

では被害者家庭のその後の苦しみを伺い知ることができて..
(本当に「知った」とは到底いえないことは分かっているのですが..)

 このようなテーマを扱う際、
ひとつだけ確実に言えることは、日本の文化及び法制度の双方が、
現状では余りに被害者の側に寄り添っていない、という事実でしょうね。
やっぱりひとは、
結局のところ「他人事」には本気で向き合うことはできない、
のでしょうかね..
そのような状態に陥りたいとは思わないし、
自分に限ってそんなことは起こる筈はない!
だから考えないし考えたくもないし、関わりたくもない。
それもひとの在り方なんだよなぁ..

 キャスト陣の演技には..
正直いろいろな想いが去来するのですけど、
個人的には一番損な役回りのキヨたんに深く同情しますね..
殺されたっつーに基本憎まれ役って..
でも裁判で被害者やその家族の身に起きることって、
基本的にそういうことだったりするんだよなぁと。
 CMとかでキヨたんを目にすると
「あぁそういえば死んだんだっけなぁ」とつい考えてしまう私でした。
あーエンディングテーマは非常に!よかったですね。


さて「白い春」ですが..
当初より個人的な期待は高かったのですが、
全編全く緩みがなく、実によくできた、
造りこまれたドラマだったと思います。

細かく感想を述べるときりがないのですが、
非常に人間がよく描けている、気がします。
より正確に言えば「人間の煩悶する様」が!描けているのかもしれませんね。
それぞれの登場人物の中に簡単に打ち明けることのできない様々な思いがあって、
それが個々のやりとりの中で数知れず交錯する。
 その在り方は本来非常に複雑なものなのかもしれないけれど、
実際には非常に分かりやすく!描かれている
(演技がヘタで分かりやすいわけでは決してなく、演出的に上手)
辺りに感心します。
(実際には表情や動作など、会話外の部分で多くの重要な「情報が処理」
 されるので、ある種のひとにとっては非常に分かりづらかったりするのだろうか?
などと思いつつ私は観ているわけですが..)

 親子の物語であり、勿論家族の物語であり、
最後の最後まで奥深くに沈められてはいたのだけど、男の友情の物語でもあった。
 正直遠藤憲一さんは物凄い損な役回りなのだけど、
それでもアレでよかったのかな、と最後には思わせる彼の誠実さ(の演技)
とかには感心させられます。
ある意味主役の阿部寛よりも難しい役だったのでは?

そして大橋のぞみ(笑)
正直ポニョの頃は完全スルーだったのですが
(…あの曲は諸般の事情で非常に私の神経に障る..)
「あぁなんて可愛らしいお子さんなのでしょう!」
と完全にハマってしまいました。
まだ日本には、私の知らないあんなに可愛いお子さんがいるのね!と..

 
 最終話での急展開には正直かなり驚愕したのですが..
終わってみればそういうのもアリなのかな、と思います。
(個人的には2人の父親がきちんと情報公開して、
皆で楽しく暮らすような”理想的な”落ち着き方を望んではいたのだけど..
それじゃあんまりにもご都合主義的なことも分かってはいた)

 奇しくもこのドラマも、「ひとしての理想の姿」
を追い求めたものなのかな、と感じます。
 あのような葛藤の中で、自分の欲望や願いに従うのではなく、
相手の本当の幸せを思いやり、生きていく、という。

 理想ってのは要するに「現状はそうではない」ってことだし、
ひとはそんなに綺麗事だけで生きれるわけではないってことではあるのですが。
 自分たちがそれを得ていないからこそ、理想が輝いて映るのでしょうか、ね。


久しぶりにドラマ見て泣きました。

白い春

イレギュラーな..

  • 2009/06/23(火) 23:49:31

…非常に夏を思わせる一日でしたけど。

私は夏は、好きです。
昼間暑さに苦しんだ後のシャワーと、冷たい飲み物とクーラーぎんぎんの部屋とか..
(冬に暖房にあたって熱いお茶飲んでも、さほど燃えない)

そんな最中に午前中は講座のお仕事。

http://clipsince08.dtiblog.com/blog-entry-143.html

で述べた区関係の一般向け講座です。
内容としては「2-3歳くらいの言葉の発達や、発達の問題について」という感じ。

 一般向け講座はちょっと久しぶりなので緊張したり、
(話す相手がほぼ全員知らないひとって状況も、久しぶり)
時間と話す内容(の濃さ)の調整に直前まで迷ったりいろいろでしたが、
…どうにか終えました。
 時間もちょいオーバーで済んだし。
質問も何個か頂けたし
(前にも述べたけど「質問したくなるような講座」であることは大事だと、私は思う)

 講座の骨子自体は前の職場で自分で使うために作っておいた
言語発達関係の資料を利用していたので
資料作りに際しては結構楽することができたのですが、
基本的に言語発達となると、私の専門から外れるとは言わないけど!
モロ専門ではないところだし..
 まぁ基本的には「発達に関わることなら何でも話せます」
ってところで仕事をしてはいるのですが、
やっぱり発達障害関係に繋げた話の方が私も燃えるし、
聞いてる方も、楽しいというと語弊がありますが、力を入れて聞けている感じだったかなと。
…「発達障害」とまでいくとオーバーなのだけど、参加者の皆様の、
親として時に感じることのある子どもの発達への迷いなどについて、
私の方法論としても対応できる部分は結構あるのだな、
といったことを、今回確認することができました。
 

 午後は..シライの職場なんかだと普通にやっているらしいけど、
私はこれまですることがなかった類の仕事を、某所でしていました。
事務所を離れて、外で子どもと動くと、
いつも当たり前のように見慣れているものを、
異なる角度から眺めることができて、それはそれでなかなかの収穫でした。
 ある種のお子さんには机上課題よりも現場での実践あるのみ!
と感じることは昔からそこそこあったのですが
(でも私はコントロールの効かせやすい相談室状況が基本的に好き)
これについても今だったら対応できる!というわけで。

 またいろいろと考えていこうと思います。

というわけで今日はイレギュラーな仕事日、でした。

南大井文化センター

真面目なこどもの..

  • 2009/06/14(日) 23:22:38

最近読んだ本

「真面目な子どもの犯罪心理学 -なぜ「評判のよい子」が人を殺すのか-」(加藤諦三.2009)
http://www.amazon.co.jp/%E7%9C%9F%E9%9D%A2%E7%9B%AE%E3%81%AA%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82%E3%81%AE%E7%8A%AF%E7%BD%AA%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6-%E5%AE%9D%E5%B3%B6SUGOI%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%8A%A0%E8%97%A4-%E8%AB%A6%E4%B8%89/dp/4796671765/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1245036208&sr=1-1

その元本
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B3%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%81%8C%E5%A3%8A%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E3%80%8C%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E5%88%86%E6%9E%90%E8%AB%96%E3%80%8D%E2%80%95%E5%8A%A0%E8%97%A4%E8%AB%A6%E4%B8%89%E6%95%99%E6%8E%88%E3%81%AE%E6%97%A9%E5%A4%A7%E8%AC%9B%E7%BE%A9%E9%8C%B2-%E5%AE%9D%E5%B3%B6%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-251-%E5%8A%A0%E8%97%A4-%E8%AB%A6%E4%B8%89/dp/4796659080


…別に宝島文庫が好き!なわけではありません。
結構読んでるけど(笑)

新聞でタイトルを見たときにちょっとひっかかったので、
書店に手にとって、チラ見した内容に激烈な嫌悪感を覚えつつ(笑)
敢えて購入しました。
要するに最初っから「反論したらんかい!」という気分で買ったのですが。
同時に「私とは明らかに異なる立場で、ある現象をどう解釈し、語るのか」
を知ることも大事だという、海よりも広くマリアナ海溝よりも深い心で(笑)..


 結論から言えば、結構「いろんなひとが読んでいい本」
なのではないかと思っています。
(以下での私の書きっぷりをもって述べると実にアレなのですが..)
 まぁこの内容を全部真に受けるのはアレですけど、
「こういう意見もあるよね」「なるほどこういう見方もあるのか」
などの参考にはなる、と。

 タイトルがまさに売らんかなノリなのですが、本来は大学の講義録、のようですね。
「精神分析の観点から子育てを語る」といった内容と考えれば
別にいけないことを書いている訳でもないし、
実際にその内容も「異常に真面目な子」とそれが引き起こす犯罪を
中心主題としているので、タイトルだってそれでいけないわけでもない。


 内容なのですが、私なりにまとめてみると

1)行動と心は、ちがう。
 実際親として子どもに対し同じ行動をとっているように見えても、
 心の内では全く異なっていることはよくある。

2)「服従」は、その裏で命令者への敵意を育む。
 服従する子は、その裏で親に対し強烈な敵意を燃やしていき、ある時に爆発する
 (つまり、強制と服従に基づく関係は、よい関係とはいえない)

3)「過剰に真面目」な子は親のマインドレス(意訳:心の貧しさ?)
 な対応を日々受けることによって、形成され成立する。
 またときに親の親としての無能さや怠惰さの中で形成される。
 そしてその真面目な態度の裏には、親への強烈な敵意が隠されている

4)「アスペルガー症候群」などの言葉は、この種の
 「過剰に真面目」で特異な事件を起こした子の行動を説明していない!
 突き詰めれば、事件に結びつく「過剰な真面目」さは、
 親の心のもちかた!によって説明される。

  
…(謎の笑)。


1)精神分析に遠い位置にいる私からすれば、
 それなりに示唆的な内容もある、のです。
 この辺りの話は個人的にも結構忘れがちなのでして。
 「最高な親と最悪な親は、行動レベルでは同じことをしている」
 などは、文章表現としてなかなか上手い!と思います。
 
 …とりあえず行動を軸にひと/子どもを見る心理と、こころを軸にみる心理は、
 基本的に真逆といってもいいほど異なる観点/人間観で
 現象を見て、処理しているということは、知っておいていいかなと思います。
 同じ心理といっても、そこはかなり!違っているわけですね。
 …でもその異なる立場の心理が!
 同じ現象を目にした時に(全く異なる分析と思考経路を経て)
 全く同じアドバイスを口にするってことも多分あって(笑)
 それはこの話とも一致するような..

2)これもなかなか面白いというか、私が忘れがちな部分で。
 服従すると、相手に対する敵意が生じることって、ある。
 確かに(自分もそうだから)納得できるっちゃ、できる。
 でも一方で私は「過剰に自分がない」というか、
 行動の規範を自分で持っていなかったり、明確な価値観を
 持たないが故に「強制を待つ」状態の子ども/ひとを目にする機会も多いわけで。
 ここでの論理は、服従する対象が明確な「自我」
 (ここではまぁ「自分はこうありたい!
  こう振舞いたいという心理を明確にもつ状態」と規定)
 をもっていることが前提なわけだけど..
 その「過剰に真面目」な子たちは、果たしてそれにあたるのか?
 (勿論それにあたる子も居る筈なのだけど..)

  もうひとつ。
 「服従をもたらすような命令や指示・人間関係が
  子どもの中に敵意をもたらす」って前提を仮に是だとしても、
 それへの対応が
 「マインドフルな(豊かな、創造的な)対応をしなさい」
 ってことで、いいんですかね?
  私は同じ状況であれば、服従が服従のままでなくなるように、
 その指示/命令の理由を話して理解させたりして、
 「服従への動機付け」を!コントロールしようと、思うのですけどね。


3)…ここら辺からですね(笑)
 果たしてそうなのだろうか?
 作者は親のマインドレスな(心のこもらない)対応が子どもの
 服従や過剰の真面目さを生じさせる、というけど。
 親の「マインドレスな対応」
 (対応といってしまうと、心じゃなくて行動の話になっちゃうけど)
 が全て服従や過剰な真面目さに向くとは、正直思えない。
 一方で攻撃的になったり不良化したりする「素直な」適応/変化があるわけで。
 そこでその種の対応が「過剰な真面目さ」に結びつくというのは、
 それは個人が生来持つ資質によるところが、多いのでは?
 (先に述べたような自我の希薄さ、規範意識の発達不全など) 
 
  もうひとつは、「子どもは親の”行動”に対応しているのか?
  ”心”に対応しているのか?」という根源的な問題ですね。
 …そもそも「心ってどう伝わるのだろう?」ってとこに、
 心派は全く対応していないというか..
 心は「共感するんです」「響きあうんです」程度で、
 そのメカニズムを語れているとは思えない。
  実際に子どもに処理されるのはまなざしや声色、表情などの情報であり、
 その情報をもたらしているのは「行動」だと私は思うのだけど。
 故に私的には「子どもは、親の行動に対し反応している」と言いきれる。
  まぁ親が子どもに何かのアクションを起こす場合、
 「こころがこもっていたほうがいい」のは、確かでしょうけど、
 私が思うに、そのこころっていうものは、伝わらなくては意味がない。
 (多分この本の作者さんはそうは思っていない) 

「もっと子どものこころに寄り添ってください」
「もっと子どもを愛してください」
「もっと心をこめて子どもに接してください」

とか、私が相談の中で言ったことは確実にありません(笑)

「その言い方/表現の仕方では、伝わらない/分からない」 

 等の言い方、具体的な接し方についての話題はあるけど。
  そもそも私が今まで関わってきて殆どの保護者の方は、
 その辺りでどうこう言わねばならない水準のひとはいなかったし
  (「愛してください」ってことは「愛してませんね」ってことだし、
 「寄り添って」「心をこめて」も、また同じ) 
 そもそも「マインドレス」な保護者は、悩んで相談に来たりしないしなぁ..
 
 …万が一、保護者のそういう部分に問題があったとしても、
 その段階にある保護者にそれを説いて意味があるのか?
 例えば私が「…子どもを愛していないなぁ」と思った保護者に対し
 「もっと子どもを愛してあげてください!」といって、
 それで何かマシな展開に結びつくのか?
  私なら、そこをわざわざ衝いて反省なりを促すより、
 「保護者のどの行動を変化させるか」を考えつつ、
 そのための評価やアドバイスを出すけどなぁ..
 
4)…さて(笑)
 「アスペルガー症候群」「広汎性発達障害」などの言葉は、この種の
 過剰に真面目で特異な事件を起こした子の行動を説明していない!」
 という作者さんの論理は、実は私も同意します。
 「アスペルガー症候群だから」その事件を起こしたって話があったとして、
 それは実際には何も事件に至る事情を説明してはいない。
 故に「アスペルガー症候群だから」「発達障害だから」
 特異な事件を起こす!という説明は、基本的には無意味だと思います。
 大事なことは「アスペルガー症候群」なら、その診断を受けるに至った、
 その子に見出される行動/思考上の特徴が、どのようなものであるか?その程度は?
 その特徴のどの部分が!事件に直接影響を与えたものと想定されるのか?
 その特徴がどのように形成され、何をもって強められてきたか?
 等の分析である筈なわけで。
 その観点なしに診断名だけで特異な事件を処理したり、
 事件を説明した「気になる」ことは、行為として愚劣であり有害ですらあります。
 …これは診断したお医者さんがどうのこうのではなく、
 そのように皮相的にしか取り扱えないマスコミが、ですね。
  
  その上で!やっぱりこの作者さんは、
 発達障害故の特性や思考法をほぼ無視しているし(知らないのかもしれないけど)、
 所によっては半ばヤケクソ気味に(笑)否定しているとは思います。
 (自分の論理だけで子どもの心理なり行動なりが説明できる!と思うが故に?) 
  上記したように服従→敵意へのメカニズムは(それが事実としても)、
 「他者のこころの在り方をある程度適切に理解し、想定できる」
 知的/発達的にノーマルなひとの能力を有していることを前提にしているけど
 アスペルガー症候群なりその他の発達障害は、
 正にその能力の機能不全によって規定されるものであるし、
 またある種のお子さんの「過剰な真面目さ」や融通の利かなさも、
 発達障害の文脈で説明されることが適当と思われる場面は、多い(と、私は思う)。

  その要素をほぼ無視して!
 特異な犯罪を犯す子どもの心理を(行動ではなく)、
 ほぼ親子関係、ひいては親の子どもへの接し方に還元しようという発想、
 言い換えれば「子どもの問題は親の(心のあり方の)問題」
 「問題を起こす子どもの親/家族には、もともと何がしかの問題がある」
 (*これに近い論理は、本書の中でよく用いられている。
  事件を起こした子どもの属する家庭が周囲から「仲の良い家族」
  などと評されていても「そんな筈はない」「実はそうではなかった筈」
  などなど。この論法だとなんでもアリだよなぁ..
  そもそも「新聞記事が胡散臭い」んなら、自分で一次情報にあたればいいのに)
 という発想は..

 …やっぱり安直だと思う。
 それは「親ではない」!子どもへの対応者、機関や病院、施設、社会や
 これを語る知識人や識者とやらの気持ちを豊かにして、
 責任感から開放して、楽にしてくれる発想なのかもしれないけれど。
 実際には何も役に立たない思考だと思います。

「私は、問題を起こした子どもの母親と会う機会も多いのですが、
 するとたいてい子どもの心を考えていません。」

(「真面目な子どもの犯罪心理学」p123より引用)
 
 ↑ 多分本書で一番!読んでいて感銘を受けました。
 どういう感銘かは敢えて述べませんけど。えぇ。
 いや、まぁ前後の文脈とかもきっとあるのですが、
 このレベルの発言ができちゃうひとって.. 
 大学生はこの話をクソ真面目に聞いたのでしょうかね。


 実際問題発達障害の理解がここ数年で世間に大きく広がっている一方で、
依然ここでの彼の発想レベルの思考の方が、
心理の中でもメジャーだったりするのは多分事実で。
現場の心理の多くが長年この思考でやってきたってのも、おそらくは事実。

 もうひとつ。
 精神分析って(この本の発想は基本的に精神分析)、
ある現象を考える際にためになることもあるし、
その現象を「説明し得た」気持ちになれて気持ちがいい!
ことも結構あるのですが
(実際この”気持ちいい!”ってとこが、一番重視されている気がする..)
「それ単体では現場での対応にはそんなに役に立たない」
というのが個人的な感想です。
いや、まぁ「元々そういう学問です」ってことなのかもしれないけど。

 実際本書でも原因を親の「マインドレスネス(心の貧しさ)」
に帰する論理を展開するだけで、
「じゃあどうすればいいのか?」という部分に対し全く議論が行われない。
「マインドフルネス(心の豊かさ)を追求すればいい」らしいけど(笑) 
 じゃあどうやってそうなるのか!読んでいて全然分からない。
それは作者さんが「行動」を軽視するから、の気もするのです。

 結局のところ、この本では(意地悪な目で見れば)
「心が貧しい親/子どもは、かわいそうだね」
「心が豊かなひとは、何をやっても大丈夫だよ」
てことしか言っていない気がする。
(大概の場合、このテのやり方で人を分けるひとは、
 自分がマシな側に居ることを信じて疑っていない..)


…。

これだけ書いておいてナニですが、
やっぱり「読むにはいい本」かなと思っているのです。

・マインドレスネスの定義をどこに置くかの問題はあるのですが、
 例えば子どもやその保護者に発達的なポテンシャルレベルの問題が
 想定されず(逆にそれが想定された場合には、
 この本の文脈では多くの説明が成立していない、と「私は」思っている)
 虐待事例のような状況を理解し、対応策を検討するにあたっては、
 本書の内容は適切であり示唆的なものであると思われる

・行動の分析や実際の対応に偏る(=私のような)ひとには、
 心というの要素の重要性を提示してくる本書のような内容も、
 自身のバランスをとる上で必要であろう

と。
あと、とにかく安い(笑) 値段の割にはいい内容だと思います。
 基本的に講義録なので、内容も必要以上に難しくないし、
講義録故に「同じような論旨が延々繰り返し展開される」ところもあるのですが、
まぁ大事なことを繰り返し読むのも大事だよな、と。


 私が思うに、作者さんは行動を軽視しすぎ、心を重要視し過ぎている。
突き詰めれば心を「いい状態」(どういう状態かは不明)
にもっていけば行動上の問題は解消されるし、そもそも生じなくなる、
と思っているようですが..
「ごめんなさい」とか「いいこになってね」
「愛しているよ」と心で念じれば、それでよいのだろうか?
私は問題に対し行動しなければ!
少なくとも対象が何がしかの処理を行う程度の情報を提示しなければ、
意味がないと思うのだけどなぁ。


 行動に偏るひとは、心を忘れてはならない。
同様に心の分析に拠るひとも、行動を検討することを怠ってはいけない、
と、改めて思いました。

 結局
「何かひとつの要素だけで(特に心や行動のような複雑な)物事を説明できる/解決できる」
って発想は、基本的に単純すぎて危険だし、
物事に対する「真に誠実な態度」ではない、気がします
(現実には、何かひとつの真理とやらを追究する在り方のほうが、
しばしば「誠実な態度」に見えちゃうのですけど..)


…なんというか、
非常に私の立ち位置が透けて見える文書だと思うのですが(笑)

元本