子ども目線

  • 2009/07/27(月) 23:47:23

久しぶりに、一日かけて気合入れて買い物しました。
プライヴェートでもここしばらく、
買い物って(本以外)していなかったので。

 夏服とか
(*クリップ的には全く関係なし)
旅行鞄とか、いろいろと私物を買ったのですが..
アレですね、軽かったり材質がよかったり、
コンパクトだったり機能性が高かったりデザイン性が優れていたり
(*私の”デザインがよい”は、要するに派手でなく無闇に装飾がないもの)、
…そういったものは総じて高い!ですね。当たり前ですけど。
 そもそも何故、
一般に柄つきのものが安くて、無地のものは高いんですか、ねぇ?
(その辺の固定観念をぶっ壊したのは、無印とユニクロ。素敵!)

 その他諸事情から(前にもひとつ買ったけど)
寝袋を探して登山具ショップに(多分生まれて初めて)行ったり、
(池袋なので)トイザらスに行ったり。
で、結局教材を購入するわけですね。

 今回は基本的に2人対戦形式のゲーム中心ですね。
”シンペイ”は、前の職場でも買ったっけ。

 池袋サンシャインだと、今は(てゆうか夏は大概)
”ウルトラマンフェスティバル”とかをやっていて。
限定ソフビ人形とか販売しているので、結構行きたいのですが(笑)
そこは「個人的に守っている線」を越えているので、結局行かず。
私に子どもがいたら、絶対行くんだろうけど。

 近くを歩いていると、明らかにノリノリな男の子と
まぁ興味はないんだろうけど付き合っている母親(笑)
(日曜日だともうちょっとノリのよいお父さんだったり、だろうか?)
 もうひとつ述べるとポ〇モンスタンプラリー、でしょうか?
別に電車好きではない私からすれば、
アレに付き合う、特にお母さん方は立派だなぁと
(どうでもいいけどアレのコンセプトを考えだしたひとは、
 JRの社長になってもいい!くらい営業と収益に貢献していると思う)

 私は
「子どもの趣味や好きなことに(…すっごい大変なんだろうけど)付き合っている親」
という姿は、ほぼ例外なく好きです。
 子どもとの付き合いの基本は、
いかに子どもの好きなものに寄り添い、それに付き合うか、だと思うので。
付き合うだけでもえらいけど、一緒になって楽しんでいる親は、もっと偉いな、と。

 一方で出先で親子の姿をたくさん見ていれば、
その逆って感じの親子も目にするわけで..

 前々から思っているのですが、
人前で子どもに暴言を振るう親や、時に手を出しさえする親は、
基本的に話の内容が一貫して大人目線ですね。
 「大人(=自分)の価値観/都合を告げる」という立ち位置で子どもに一方的に話をするし、
故に子どもにはその意味合いは理解できる筈もない。
(極端な例ではあるけど、最近外で見かけたお母さんは、
 どうみても一歳以前のお子さんに、マジで
「(自分の)傍を離れちゃダメじゃない!」
「あんたのためを思って言っているのよ!」とお怒りで..)
そもそも話の内容自体が「自分の都合」だし、
ましてや赤ちゃんじゃ意味なんか分かんないし、
そこから受け取る情報は「ただ怒られた」程度だろうなぁと。

*親としてその種のヒトがけしからん!とか言いたいわけでもないし、
「でも親って大変なんですよセンセイ」とか言って欲しいわけでもないのです。
 ただ私の立場からすると
「それじゃ子どもにして欲しいことが伝わらない」し、
「その言い方を繰り返しても、子どもが(親にとって)都合よくなるとは思えない」
 ってことでして(意味のない行動と効率の悪い行動は、嫌い)..

 結局のところ、
「どれだけ子どもの目線に沿って対応できるか」こそ、
親として子どもに対応する際の重要な評価基準のひとつ、なのだと思います。
 特に子どもが小さければ小さいほど、
その辺で優れた対応が出来る場合と、そうでない場合の格差は大きくなる
(子どもが発達すればするほど、大人の価値観や都合も、
 子どもの側で徐々に理解できるようになり、
 そのレベルでも情報の齟齬が生じづらくなるから)

 …多分親として、
その辺りを特に意識するでもなくできるひと
(=親としての才能/センスをもっているひと)と、
別にそうでもないひと(まぁ普通のひと)、
更にどうやってもそれができないひと(センスがないひと)、
…それぞれに育てられることで、
子どもが享受する「環境の質」も、
大きく変わってはくるのだろうなぁ、と思います。

 その種の態度の一番基本となるのは、
それこそ「物理的に子どもと目線を合わせているか!」
のような気がします。
「いや子どもの目を見ているか」ではなくて。
…日常的に子どもの目線に合わせて動き、
必要に応じてしゃがんで子どもに応じるひとは、
それだけ子どもが正に見ているもの、聞いていることをダイレクトに認識して、
子どもへの態度にも反映していると思うから。
それがそれだけ「子どもの世界を理解しようとしている態度」なのだと思うから。

*…最近読んだ本にあったネタですが
 「おそ松くん」が(連載当時)子どもに熱狂的に受け入れられた
 経緯についての分析のひとつとして児童心理の専門家が
 「イヤミなどのキャラクターは、大人なのに完全に子どもと同じ水準で
 考え、動いていた。子どもはそのような部分に共感的に反応したのでは?」
 と述べたものがあって、それはちょっと分かる気がしました。
 確かにアレだけ「大人なのだけど子どもなノリ」のキャラクターって、
 そうはいない気がする..
 赤塚不二夫のマンガには他にもその種の完全子ども目線キャラが多いですね。


 …私は大学時代に「(大学)周辺の子どもと遊ぶ」
というサークルに所属していたのですが
(実のところその活動のごく一部が、品川区内の子どもを対象にしていた)
そこで真っ先に先輩方に教わったのは、
その「しゃがんで子どもたちの目線に合わせる」こと、でした。
で、センスのある(と思われる)同輩なんかは、
教えられることもなく自然にやっていたりするのですね..

 先日グループ関係者でその話をしたのですが、私は

(子どもと仲良くなるっていう意味では)
 しゃがんだりすればいいって分かっているんだけど、めんどくさいのでやらない」

と述べた(笑)

 真面目な話、指導者の立場でいちいちしゃがんだり立ったりすると
疲れるし腰が痛いし、指導のタイミングを見切れない、
というのは..言い訳ですね。
 「めんどくさがらないひと」は、偉いです。

 シライは(実は少しだけ予想していたのだけど)
彼なりの(私よりは筋の通った)理由から
「基本的にしゃがんで目線を合わせる対応はしない」と明言しており、
…それはなんか、分かる気もするねって感じ、なのでした。

7/27購入物

ノンフィクションを3冊

  • 2009/07/18(土) 22:54:05

今月(2009年7月)のハヤカワ・ノンフィクション文庫最新刊は実に素敵、
なラインナップなのです。はい。


「人イヌにあう」

http://www.amazon.co.jp/%E4%BA%BA%E3%82%A4%E3%83%8C%E3%81%AB%E3%81%82%E3%81%86-%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%82%AB%E3%83%AF%E6%96%87%E5%BA%AB-NF-355-%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%84/dp/4150503559

コンラート・ローレンツの「ソロモンの指環」を初読したのは
恥ずかしながら昨年末..(10年来読もう読もうと思っていたのに..)
で、その内容の豊かさ、素晴らしさにひたすら圧倒されました。
(「人生のこれまでの期間、読まずにいたことを後悔するような本」って、たまにある..)

 先日某ケースの保護者の方と
「ファーブル昆虫記はともかくシートン動物記って、
 (子どもに勧めるには)何気に難しいですよねぇ」といった雑談を交わしていました。
確かに私も小学生くらいで一通り読んだけど、何せ難しかった..
(なんかマンガ版で読んだ方の内容を、辛うじて覚えている程度な気が..)
*小さい頃に読んだ本の中で、今も記憶に残っているのは
 ジャック・ロンドンの「白い牙」。
 ローレンツさんは基本的にこの本だけは高く評価しているようで、嬉しい。

 動物の行動を扱う本って、その行動の擬人化を押し進めていけば読みやすくはなるけれど、
内容はそれに比例してどんどんダメというか堕落していく気が..
一方で純粋に動物の行動だけを扱おうとしていくと、
読み物として面白くなくなっていく傾向が強くて(シートンは多分これにあたる)。

 しかしコンラート・ローレンツは、極めて純粋に動物の行動を押さえていきつつも、
それは他の同種の読み物を圧倒する面白さと示唆的な内容を含むものであり..
本書の後書きに
「かつての比較行動学者も心理学者も、
 コンラート・ローレンツに対しては、等しく最大限の敬意をはらってきた」
といったような文言が認められますが、さもありなん。
観察の水準と思索の水準の双方が非常に高い、のだと思います。

 この作品では主としてイヌ/ネコの行動に関する
著者の様々な所見や分析が披露されるのですが..
私はそれらについても、どうしても「それを人のこととして」!
捉え、それで非常に感銘を受けつつ、読みふけってしまうのでした。
(特にイヌの”個性”とか”訓練”の項目辺りで)
実際それをそのまま人間に応用すると大変なことになることは重々承知なのですが(笑)
…物凄く説得力があり、読んでいて納得できる部分が多くて。
 実に刺激的です。

 私がイヌの話もネコの話も「人のこと」として捉えるその基盤には、
「人間は、動物である!」
 (人間が”他の動物を超越した特異な存在”というわけでは、決してない!)
「人間も動物も”メカニズム”であり、それ以上でも以下でもない」
という基本的な認識/人間観が、
私の中に比較的強くあるということも、関係しているのだと思います。

 本書は、内容的に難しいところは少しもなく、
中学生程度の知的能力をもち、動物や動物と関わることに
興味をもつ人/子や、興味をもたせたい対象に読ませるには、
「ソロモンの指環」と並び最良の書物(のひとつ)ではないかと思います。

 ちなみに私はイヌよりはネコが好き(本書を読んで更にその傾向が強まった)ですが、
多分、終生その種の動物を自分で飼うことはないだろうな、と思っています。
その程度の水準にある私でも、
動物や動物と触れ合うことに、一時、強烈な魅力を感じることのできる!
この本は凄いな、と。


「妻を帽子とまちがえた男」

http://www.amazon.co.jp/%E5%A6%BB%E3%82%92%E5%B8%BD%E5%AD%90%E3%81%A8%E3%81%BE%E3%81%A1%E3%81%8C%E3%81%88%E3%81%9F%E7%94%B7-%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%82%AB%E3%83%AF%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC-%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/dp/4150503532/ref=pd_rhf_p_t_3

オリバー・サックス博士によるメディカル系ノンフィクションの傑作ですね。
私も講座等、仕事上折に触れ様々な方にお勧めしてきた経緯があります。

 90年代前半に当時の指導教官が紹介してくれた本で、
当時学部の3年生くらいだった私にとっては、
非常に啓蒙的というか、知的な興奮を覚えさせられたものです。
 内容的には「異常に嗅覚が優れたひと」など「体の正常な感覚を失ったひと」
「特定の音楽が頭の中で鳴り続けるひと」など、主として脳機能の異常から、
認識レベル/感覚レベルでの様々な「特異な状況」に陥ってしまったひとについて
書かれた書物ですが(自閉症やサヴァンの症例もある)..

 当時の私にとっては、世界や宇宙の広大さとは別なところ、ヒトの頭の中に、
そのような広大な異境、
=周囲のひとには理解できかねるような特異な感覚/認識の世界
が広がっていることを、おそらく初めて認識して、
そのことに衝撃を受けた、という感じでしょうか..

 …今の仕事をしていても、この書に書かれているような
「部分的に激烈な状態」を示すケースはほぼ皆無といっていいのですが、
この本等を通じて、
私が「自分のもっている感覚だけでは、理解はおろか、
 想像することさえできない世界が、他者の中に備わっている(可能性が在る)!」
ことに意識を向けられるようになったということは、
現在に至るまで私の大きな財産になっていると思います。
 逆に言えば、こういった知識を知識として備えていないと、
ひとはどうしたって!自分の感覚や価値観、総じて「自分の規準」で、
他人の行動を(誤って)評価し、対処してしまう危険を有しているのだ、と思っています。

 サックス博士の書物はほぼ無条件に好き、です。
どれも”弱者”というとアレですが、ハンディキャップを背負った者、
精神的/認知的に「異形のもの」への愛と共感に満ちています。
 本書はもちろん「手話の世界へ」や映画化もされた「レナードの朝」も傑作だし、
 本書と同系統の内容で纏められた「火星の人類学者」もお勧めです。
近作「タングステンおじさん」も、文庫化されたら読みたい。
…本書はハードカバー版をもっていますが、
この機会に文庫版も買おうかしらん。


「悪霊にさいなまれる世界」

http://www.amazon.co.jp/%E6%82%AA%E9%9C%8A%E3%81%AB%E3%81%95%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%BE%E3%82%8C%E3%82%8B%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%80%88%E4%B8%8A%E3%80%89%E2%80%95%E3%80%8C%E7%9F%A5%E3%81%AE%E9%97%87%E3%82%92%E7%85%A7%E3%82%89%E3%81%99%E7%81%AF%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AE%E7%A7%91%E5%AD%A6-%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%82%AB%E3%83%AF%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB-%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%B3/dp/4150503567

 タイトルが何かものごっつい感じですけど(笑)
サブタイトル
「Science as a Candle in the Dark (意訳:”知の闇を照らす灯”としての科学)」
というのが、より本書の内容をより適切に示しています。かっこいいですね。

 内容的には、故カール・セーガン博士による
古くは魔女狩りからはじまって、各種オカルトや、UFOや..
そのテの似非科学を批判的に紹介/そのメカニズムを解説しつつ、
「科学(=科学的に思考すること)の意義を学ぶ」という、科学哲学→科学啓蒙の書、です。
元々は博士の大学でのセミナー(天文学が本来のテーマだったようだが、
時にそれとは全く関係ない議論がガンガン展開していくのが、素晴らしい..)
の内容及び地方紙の日曜版に連載された記事内容をまとめたもののようですが
(新聞の日曜版でこんなハイレベルの科学哲学の話が載せられる辺りが、
 アメリカさんの懐の深さであり..)、
全編実に示唆に富んだ内容に終始しています。
 あ、9章「セラピー」では心理療法やセラピスト(心理療法家)にも
その矛先が向けられており、刺激的です(笑)
*内容的には、一時期アメリカで話題になった
 「偽の記憶を思い出させてしまうセラピスト」の話が中心


過去にも

http://clipsince08.dtiblog.com/blog-entry-124.html

などでも採り上げたりしていましたが、

 20代後半になって読んだ書物ですが、
現在の私の在り方というとアレですが、思考の基礎的な水準で、
この書で扱われた、科学的であること/科学的であろうとすること
といった態度が、今も自分の中に息づいていると感じる場面は、多々あります。

 臨床の仕事ってものはなかなか科学的には進まない/進められない部分が多いのですが
(現に私は、正にその理由で!
 心理学を学んでいた当時から、臨床領域を毛嫌いしていた部分が、あったので..)
だからといって、臨床の現場に居るものが
「科学的であろうとすること」を、放棄してはいけない! 
…今もって、そういう気分なのです。

 科学的思考や科学的な態度の重要性を述べる一方で、
科学教育の重要性や、
「科学的にものを考えることで人生がどのように豊かになっていくか」
等にまで思考を進めていく、そしてそれらに関する言及に留まらず、
常に自身で動くこと、更に社会に働きかける努力を惜しまない!
著者のその姿勢に強く惹かれます。

本書は、人生オールタイムベスト10に入る書物、のひとつなのです。


人イヌにあう

妻を帽子とまちがえた男

悪霊にさいなまれる世界

教科書通りだと..

  • 2009/07/14(火) 23:26:36

最近の私の口癖、です。

 他の方はどうだか分かりませんが、
私の口癖は基本的に、一過性です。
一時期に集中的に使用して、その後はそんなに使わなくなる..
これは私の中でやや強いこだわりとしてある、
「同じひとに同じネタを繰り返して話したくない」傾向がその一因かなと。
 (更に言うならその「同じネタを繰り返したくない」のは
 「ひとから繰り返し同じネタを聞かされるとイラつく」ことに起因するのではと自己分析)


 さて。
「教科書通り」というと、
「綺麗な」「お手本どおりの」って意味合いでも使われますが、
それ以上に状況や他人の為す事柄についてある程度揶揄するような意味合いもあり、
おそらく私は後者として使っています。ね。


 私が他所の専門家さんの仕事(ケースや機関が受けたアドバイス等)
について評価する場面で
「教科書通りだと/教科書的には そんな言い方になりますねぇ」と述べたならば、
それは「実際にはそれでは上手くいかない/現場ではその対応では通用しない」
ってニュアンスで述べている場合が多い、ですね。
 

 「教科書通り」な対応やアドバイスを、専門家が(概ね無自覚に)してしまうのは、
実際の対処やアドバイスの経験が少ない状況である場合がとても多い。
 実際そのような対応/アドバイスが為された状況を確認しても、
ま、そんな感じみたいですね。

 専門家からすれば「そう言っておけば間違いない」
「方向性は正しいから大丈夫でしょ」といった思いから、
また自分のよく知らない/対処の経験がない状況下でも
「とりあえず何か応えねば」ってプレッシャーで、口にしてしまうのだろうけど。
(立場上「自分の無知を正直にさらけ出すことができない」といった理由も、あると思う)

 でもそのアドバイスは実際には(例え「教科書的に正しく」ても!)
ケースや現場の対応者、対応する場所や状況等の実情に即していなければ、
時に周囲の人間やケース自体!へ誤った対応を示唆することに繋がり、
その結果として(専門家、ではなく)ケースやその家族が大きな被害を被ることすら、ある。

 今の私はその種の対応を目や耳にして、
その問題点を指摘することも(一応)できる立場だけど..
 その種の対応も、最近の私の仕事の一部になりつつあります。
実際民間の立場に移ってから、他の専門機関で受けた対応やアドバイスについて
「(他所では)こう言われたのですが..これってどうなんでしょうか?」
(まぁこういう聞き方する以上、聞いてくる方としては
「そのアドバイスをそのまま受けて実行しちゃって大丈夫か?」って思っている訳ですが)
 的な相談を受ける機会は、増えている..

 かくいう私自身も、とても経験が不足していた時期には、
ケースに対し同じように「教科書的な」アドバイスや対応を行い、
それがケースの実情に合わないことで、
ケースや家族の方に大きな迷惑をおかけしたことも、
多々あったのではないか、と思っているのです。


 …専門家という立場で仕事をしているひとは、
自分が相談している当の領域について、
どの程度の経験を持っていて、総じて自分がどの程度の精度で仕事をしているか、
分かっていなければいけない、と思う。
 専門家でないひとは、専門家の意見やアドバイスを「専門家の言葉」
として、至極真面目に受けているのであるから。

 …でも専門家は、時にその種の緊張感を忘れてしまう
(私も相談の仕事始めた頃はそんなだったので、なんとなく分かる)。
 あるいは「自分がペーペーであることを承知」しているが故に!
自分の仕事(及びその他者に与える影響)の重み、を割り引いて考えてしまい、
一方でケース(保護者)としては決してそんな風に評価せず、
純粋に「専門家としての自分」に向き合おうとしていることを、つい軽く扱ってしまう..

 自分の意見がどれだけ相手にきちんきちんと受け取られ、
家庭や児を取り巻く環境でどのように理解され、実施されているか?
それを自覚せずに、実に安易な気持ちで「教科書的な」
…まぁ「こう言えば間違っていないのであろう」程度の気持ちから生じた
アドバイスが、量産されていく..
 それで
「先生の言う通りにしたら、こんなヒドい目に遭いました」
と素直に言って下さるケースは実際かなり少数派で、
専門家の方はその種のフィードバックが生じない限り、
「自分のアドバイスで上手くいったのだなぁ」と、じんわり思ったりしている..
(私には早い時期から
 「先生の言った通りにやってみたけど、ダメでした」
とアッサリ言ってくれる(笑) 
「正直な」ケース(の保護者)がつくことが多くて、
言われた私もそれほど落ち込まずに「じゃあ次はこんな感じで..」などと返して..
そういう意味で、当時からとても恵まれていたな、と思う)

*一方で実は、
…個人的には相談の仕事を始めて2年目くらいに、
「ケース(の保護者さん)は、意外にこちらからのアドバイスで
 行動を変えたり修正したり、しないものなのだよな!」
と考え込んだこともあるのです(笑)
↑これは存外重要なテーマなので、いずれ別に書きます


…。

とにかく、専門家は自分の相談室に篭らずに、
現場に出て、自分の仕事の結果がどうなっているのか、
確認できる環境に身を置いて欲しいし、
せめてそうするよう努力して欲しいなぁ!と思います。

 自分の安易な/経験を踏まえない/現場を想定していない アドバイスを受けて、
実際問題としてケース本人や家族や現場がどんなに困っているのか!
それをきちんと理解し、吸収し、自身の経験不足や不勉強や..
「自分の在り方」というものを修正していかないことには、
そんな専門家の示す専門性なんざ、何ら意味を為さない、と思います..
(…ブログ中では何度か述べてきたことですが、
「専門家を、”専門家でないひと”が客観的に評価することが難しい」!
という事情が、この問題の根底にある気がします)

 上っ面だけの、自分では考えたこともないし、
信じてもいないような対処法やアドバイスを述べて、
その場を凌いでお茶を濁すのも.. 勘弁して欲しいです。
 他者の受け売りを越えて、自分で考えて、自分で実践して、
「自分自身で納得したこと」を仕事として欲しい、です。
(…とはいえ個人の思いだけで突っ走られても困るんで。
データとか実際の結果のフィードバックとか、他者評価とかも得ながら、ですね)

…まぁ私を含め、誰しも最初は模倣や受け売りなんですけどね..
 ただ専門家を名乗る以上、早いとこその段階を超えて欲しい。
また、経験や能力が不足していようが何であろうが、
その「専門家」を何より頼りにしてくる人が沢山居ることを、
専門家は決して忘れてはならない!と思うわけです。

 私は前の職場でも、比較的早い時期に外に出して頂ける立場であれたし
(それで現場の困りようや「奇麗事の通じなさ加減」も学ぶことができた)、
また同僚と積極的に話し合うことで自分の思い込みや問題のある対応を
修正することもある程度できていた、と思い、
今もその環境には感謝しているのですが..
 …「問題のある専門家」って、そもそも自分の問題をひとに語ること自体、
厭うている場合が多いですよね。そういえば。 


…これだけ書いておいてアレですが、「教科書通り」って言いながら、
実際にはこの分野でそんな細かな指針を示した「教科書」は、ない!
というのが、このネタでの一番皮肉なところ、でしょうか..

教科書