検査の季節

  • 2009/08/29(土) 23:51:10

8月も、お終いですねぇ。

8月は検査をすることが比較的、多い。
通常の相談や指導での結果がある程度形として見える機会ではあります。

 以前は..3月とか4月とか年度の変わり目に取ることが比較的多かった気がします。
当時はとにかく「(このケースは)今月は検査だ」と思うだけで嬉しかった(笑)
 何故かというと、余りにも忙しくて課題設定のプレッシャーが物凄かったから。
一日5ケースの課題設定をすると考えただけで出勤前から憂鬱、なんてこともザラでした。
なので「課題設定をしなくていい」検査するケースは、私にとっては救いになっていたのです
(検査は検査で報告書を書くのが大変なんですけどね。それでも!)

 …まぁそれだけ課題設定って大変なんです。
楽そうに見えるかもしれないときもあるけど。
 特に前の職場ではほぼ全てのケースが個別の相談対応だったので..
今は指導対応の場合課題設定がある程度前後で繋がりがあったりするので、
まるで新規な課題を検討するプレッシャーが極端に強いわけではなく、
また1セッションが50分なので、
次のケース開始までの合間の時間に調整かけることもできる
(事前に何をやるかを検討してさえいれば、ですけど)。

 とにかく昔を思うと、その辺りが一番辛かったなと(笑)
ひとつ一つのケースに時間をかけて向き合うことに限界がある状況で、
自分なりに納得できる仕事を積み上げていくことが、かなり困難だったと思います。


 検査について書くと、流石に一度では書ききれないので。
なんとなく幾つか。

・発達相談の仕事を始める前は、
 知能検査を道具としてそんなに信用していないというか、
 その精度に疑問を感じていました。
 現在も精度なり妥当性についていろいろと思うことはあるのですが(笑)
 「多くのケースに対し共通の視点をもって対応できる道具」である、
 という点では、検査は決して役に立たない道具ではないなと
 今は感じています。
 一つの検査を大量のケースに対して用いることで、
 仕事の中で次第に「見えてくる」ものが増えてきた、というのは事実ですね。
 例えば「この検査のこの課題でこの反応をする場合、
 このケースはこういう傾向を有している可能性が高い」とかの見通しが
 経験に応じて増えるとか。

・同時に他人の検査の使い方を見るとそのひとの仕事の水準が知れる(笑)
 真面目な話「同じ道具を使う」という観点で、
 いろいろな実施者を共通の目線で見ることができる、のですね。
 頭のいいひとは実施においても無駄な動きが少ないし、
 そうでないひとは大概そうでないし(笑)
 雑なひとは検査も雑だし(多分私も)
 …自分の頭を使うひとは、実施方法そのものは弄れなくても(マニュアル厳守が基本なので)
 課題の準備の仕方等についてどんどん自分なりの工夫を入れたり。
 ひとの検査実施を見る機会があると、面白いなと思います。
 ちなみに私は道具をぞんざいに扱うひとが大嫌い、です。特に検査は。 
 
・同じく頭のよい実施者/分析者は検査の性質や限界をきちんと把握した上で、
 それを伝える対象の状況や理解度に合わせて過不足なく伝えることができる。
 故に検査の報告書を見れば実施者/分析者の水準も知れる、気がします
 (気のせいかもしれない)

・一方で私が常日頃思うこと:
 「ひとの取った検査って、そんなに参考にならない」
 …私が未熟なだけかもしれないけど、やっぱり他人がとった検査って、
 私が私なりに療育の観点で大事で外さない!と思うポイントへの
 洞察や理解が抜けている
 (まぁ検査って基本的に見通し抜きで淡々とやるものだとは思うのですけどねぇ..)
 ことがあるので、その分析も大概は読んでいて
 「つまんない」と感じてしまう。
  勿論「こういう分析/評価の仕方もあるのだなぁ」
 って感心することもあるのですが。
 「私だったらここはもっと突っ込んで確認するのに!」
 とか感じることもしばしばなので。

*検査の本筋はあくまでも「先入観を持たずにマニュアル厳守で淡々と」
 であり、分析もまた同じなのです。
 私は療育の立場で検査をとることが多いので(上記対応もできるけど)、
 その場合とり方や見方も変わってくるって部分がある、ということです。
 故に上記の不満はあくまでも私個人の不満、なのです。

・一番危険なのは検査の内容や道具としての検査の限界・問題点を知らずに、
 結果として表示された数値(まぁIQ)だけを扱おうとする方々でして。
 (敢えて書かないけど、ある業種の方に非常に多い) 
 「IQさえ表示されればそれで子どもの全てを判断できる!」と信じ込み、
 判断に困ればとにかくIQを知ろうとする類の方、ですね..
 勿論その動きは検査への無理解と無知故に生じる、のですが
 (経験を積んだ発達障害の専門家は、検査結果を表示されていなくても
 かなりの精度で当該児の適応の水準は見抜けていた。
 私はそういう場面なら幾度も目にしてきました)
  「知能が高くても適応の水準の低い子」がいるからこそ、
 それを見切れる専門家の目が必要なのに、
 そこで子どものIQばかりに目がいくのでは..
 勿論(検査によって評価される、暫定的な)知能も、
 個人の資質を評価する際には重要な情報だとは思うのですけど。


 「IQは、知能と称されるもののある側面だけを切り取ってきたものであり、
  それがイコール知能ではない」

 「IQ或いは知能自体も、個々の人間の環境への適応に際しては
 (確かに重要な要素のひとつではあるけれども)決定的な要因とはいえない」

 程度のことは、専門性をもってそうでないひとに対応する業種のひとは、
理解していて欲しいのですけどね。


 個人的には各種心理検査というもののコンセプトをきちんと説明された上で
「…それってなんか胡散臭いのだけどなぁ」と感じるひとの方が
人間として健全なのだと思っています(笑)
私なら、そういう風に感じる親御さんや他業種の方との方が、仕事がしやすい。

 ただその線を超えてなおも使っていくと、
検査の「道具としての味」とでもいうものが見えてきて、
次第に過不足のない自然体の評価、とでもいうものが、
できるようになっていく気がします。


WISC−?

地図読み

  • 2009/08/18(火) 23:11:01

本日は「地図読み」の課題を実施。

実施するにはそれなりに理由があるのですが、それはそれとして。

 当たり前ですが、机上で勉強したり頭を使ったり(使わせたり)しても、
実地に移さないとどうしようもない!ことって、多い。
それを言えば、療育の過程で実施される殆どの課題が、
「相談室状況でだけ実現されても現状で応用されなければ意味が無い!」
って感じは常に、するのですけど。
 特に今回の課題では「机上でどうこう言っても仕方が無い!」感が強いので、
実地にやってみました、ということで。


 地図を読む/理解する機能って、考えれば考えるほど、
能力の個人差や方法論の違いなどの個体差が大きい領域な気がします。
また一般論としての性差による能力差(♂>♀)も、おそらくはあるし。
(今回は男児2名に対し実施)

*地図読みと男女差については、以下でも触れています
http://clipsince08.dtiblog.com/blog-entry-127.html

 今回はコンパスは使わず、とにかく
・自分の位置を確認する。できなければ確認できる場所を探し移動する
・その位置における自分の向き(前後左右に何があるか?)を確認する
 の2点を強調しながら「地図上で指定した位置に移動する」を繰り返し、
職場近辺をひたすら歩き回りました。
 その下準備として、昼前後から自転車でそこらを巡り、
マーカー(移動ポイント)を設定していたこともあるし..
炎天下での移動はそれなりにこたえました(笑)

 この辺りの作業にあたっては..中学の一時期に所属していた
オリエンテーリング部での活動が役に立っている、気がします。
まぁ本式のオリエンテーリングの舞台は山の中!だし、
そうなると、より精密な地図読みのスキルが必要だし、コンパス必須!なのですが。
 地図読みができるヒトはチラっと地図を見ただけでその地点の地形を
イメージの中で殆ど三次元的に!再現できるそうで..
私は遂にそこまで至りませんでしたけど
(とりあえず等高線の配置を見て瞬間的にそこが「尾根か沢か?」を理解できないと
 競技ランクでは使い物にならない)、
その辺りは確かに「男性に属する能力」な気はします。
高度な方向/位置感覚がないと、狩りとかできなかったろうし..


 一般に地図読みのスキルが男性優位である
(そんなタイトルの本がありましたねぇ、いやアレは「地図が読めない女」だったっけ..)
ことの根拠とされる?
「男性の方が一般にメンタル・ローテーションが得手」
という話ですが..

*メンタル・ローテーション:頭の中に思い浮かべた心象(イメージ)を
 実際に実物を回転させるのと類似した操作を行い”頭の中で回転させる”
 過程を指し、例えばパズルのピースが完成図のどこに当たるかを検討する、 
 「現在の進行方向に地図の方角を対応させる」際等に応用されていると考えられている

 今回地図読みの課題を実施してみて、初めてというとアレですが、
なんとなくそれを実感として、理解できたような気がします。
今回「自分の進行方向に合わせ地図を回転させる」という方法論を示し
地図読みを実施させたのですが、
 子どもたちはそれで案外あっさりと馴染んでいたようなの、です。
地図読みなどほぼしたことない!って状況だった筈なのに、
課題の終了時にはそこそこ地図と自分の位置対応/向き合わせができていたので。
要するに地図/イメージを回転させることへの抵抗が少ない/親和性が高い?
 これが嵩じて最終的には地図を回転させなくても「頭の中で」
回せば済むようになるのかな、と。


 個人差の話で言えば、
私は(上記したように少しは訓練を受けているので)地図読みはできるのですが。
 実際に都会で動く際には..
一度行った所については確実に「視覚情報として」経路とその特徴、
曲がるポイント等を記憶しているので、ほぼ迷うことはありません。
逆にその分現場での地図読みを軽視してしまう傾向があるのですが。
 行ったことがない場所では普通に地図をプリントアウトして
(本当に今ってnetで必要な情報が揃って便利だなぁ!)
…でも殆どの場合移動前に見た記憶と、「このポイントで左折」
とか「直進して3本目の通りを左に」とか、言語的に処理しています。
(頭の中に地図を出している際は、やっぱり地図を道に合わせ「回転」させている..)
…これは、どっちかというと女性的な処理ではないかと、勝手に思っているのですが。

 なまじ「できる」という意識があるので、
初めていく場所にロクな準備もせず移動して、思いっきり迷う!
経験も意外に多い..
 学生だった頃、それで思いっきり飲み会に遅刻して、
先輩に
「ホリウチの自信には根拠が無い」と指摘され(笑)
…なんて自分のことを正しく理解してくれる先輩なのだろうか!!
と感心したことがあります。
(私は「的確な言葉を用いて端的に評価する」ひと、に弱い)


 …まぁ、そうして町を歩き、
見慣れているようで全然知らない町の様々な姿を知る!ってことは、
今回の収穫として、ありました。
子どもに道を選ばせたら、自分では通ったこともないし、
繋がっていると思ってもみなかった経路で道を辿ったりして。

それと90円とか100円とか、近場で安い自販機を沢山見つけたのは、純粋に収穫でした。


コンパス

旅行(2009夏)

  • 2009/08/12(水) 22:25:59

 基本的には「他人が休む日こそ、働かんでどうする!」
という歪んだ基本方針で動いている私、です。
その方が電車とか空いているし。
お盆なんか「都会にいてこそ!」という気分なのですが。

 実は先月も北陸にある現象を検証しに行ったので、
8月に出かけるつもりはなかったのですが..
 ただいざ旅行の予定を組むと、生活に張りができますね、なんとなく。
「あと○日で旅行/休暇だ!」という感覚は大事、です。


 今回は、東北地方に行きました。
私の「行動領域の北限」を更新できたので、それはちょっと嬉しい。

*私は高所恐怖が強いので飛行機が怖いのですが、
 最近ふと思い出したのですが、それ以外に外国旅行を忌避する理由はどうも、
 「チップ」の概念が理解できない から、らしい..

…地震はともかく日程上台風には結構影響を受けたのですが、
メインのイベントは最終日、晴天下だったので、満足。

 いつものことですが、旅行は読書と考えごとの機会となります。
読書は..あまりに進んだので、途中で買い足す羽目になりました。
(荷物を減らすため少なめに持っていったら裏目に出た)
 
 なんやかんやで移動時間の3-4割は、仕事関係のことを考えていた気がします。
課題のこととか、9月の合宿のこととか、事業の行く末とか..

 あとは課題の仕入れというか、購入。
地方に行くとその地の玩具屋や土産物屋を可能な限り訪れます。
いわゆる課題らしいものが狙い、というよりは、
10数年前の水準の、遊ぶにはかなり微妙だけどクリップとしては使えそうな!
玩具を、その辺りから探すわけですね。今回もどうにか少し。


・今回メインで移動した地域には、
 ほぼ15年前に、何度か訪れていた経緯があるのですが。
  …方言を聞く機会がかなり減っている気がします。
 中年以上の世代はともかく、30歳以下辺りだと殆ど全然、その発音に違和感を感じない。
 (15年前には子どもや中高生も結構普通に訛っていた気がする)
  個人的には方言の減少に一番大きな影響をもたらしたのは、 
 「TVの普及」ではないかと思っています。
 ”標準的な”発音や思考や価値観がもたらされた結果、
 地方に特有の様々な文化が駆逐され、
 特に文化の最たるものである「言語」が、その影響を受けたのでは?
  …結構最近「TVは基本的に、大衆の民主化を促す道具だ」
 という文言を目にしてへー、と思ったものです。
 実際そうなのだろうなと思います。
  ある種の差別やいわれのない扱いを受けているヒト/状況は、
 TVを通じて「そうではない」環境を普通に受け入れるヒトの姿を目にすることで、
 刺激を受け、変化を促される。
  いわゆる民主化は、「ひとの生来有する権利を同等に近づける」
 という意味では基本的に正しいものだと、私も思うのですが、
 一方で民主化の流れは、価値観の均質化を生じさせる。
 結果としてそれは、地域のもつ独特な価値観を「非合理的/差別的である」
 ものとして排除したりも、する。
 (例えば女人禁制の或いはその逆の、神事や祭事がそうでなくなる、とか)
 ただ、地域性や文化そのものが、ある程度「偏ったもの」なのであり..
 それが均されて、失われることは..
 純粋に良いこととして受け取るべき、なのでしょうかね?

  私は「偏った」部分こそ、固有の「それらしさ」だと思うのです。
 ひとも、同じですね。人間なんか偏っていてナンボ、でしょ(と、私は思う)。
  療育は基本的に、個人の偏りを減らす方向性を持つアプローチであるのですが、
 それを行う私自身は、「他人の手で個人の偏りを完全に矯正し尽くせる」
 とは、結構思っていなかったりします(笑)
 他人の手で容易に変えられる程度のものなら、それは個性でも偏りでもない、し。
 ただその偏りを当人に自覚させ、ある程度コントロールさせることで、
 環境に適応させる/折り合いをつける ことこそ、療育の目指す方向なのだと思います。


・今回の旅行では、かなり意識的に鉄道での移動を強化しました
 (いつもはどうかというと、放っておくとやたらに徒歩移動の割合が多くなる..)
  私は生来乗り物には大して関心がなく
 (ごく幼い一時期にスーパーカー趣味があった模様だが、記憶にない)
 電車や駅舎の形状もスペックも路線も音も、基本的にどうっでもいいのですけど。
 ただ直前に読んだ本

http://www.amazon.co.jp/%E5%A5%B3%E5%AD%90%E3%81%A8%E9%89%84%E9%81%93-%E5%85%89%E6%96%87%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E9%85%92%E4%BA%95-%E9%A0%86%E5%AD%90/dp/4334746268/ref=pd_cp_b_1_img

 で、ちょっと鉄道好きの感覚が刺激されたため、なのですが。
  廃線が少々危ぶまれるローカル路線とか、
 速さや移動を重視しない、観光目的のリゾート列車とかに、
 今回意識的に乗ってみたのです。
 (そして例によって分単位の精度で乗換えしたり駅間を全力疾走したり、
 余裕のない予定を組んでしまう私、なのですが..)
  結論から言えば 「やっぱりそんなに..」 でした(笑)
 鉄道は移動の手段でってことで、いいようです。合間に本が読めて、
 考え事ができれば。
 景色がいいのも嬉しいのだけど、あまり景色ばかりでも飽きる(笑)
  ただそういった電車好き系のイベントに近づけば、
 …そんな感じのお子さんとか、お父さん(だけがどうやらそっち系)
 とか、仕事的にいろいろと考える機会は増えたりするのです。
  ま、仕事じゃないし(笑) 観察はすれどもわざわざ関わったりはしないのですけど。


 好きなことがあって、それに近づく/親しむ機会をもつひとは、
幾つになってもどんな状況にあっても幸せでいられるのだろうな、と思います。

 私は正直、そこまで打ち込めたりするものがないような気がします。
旅先の料理に感動するでもないし、建築物に燃えるでもないし、
鉄道そのものに興奮するでもないし。
 敢えて言うなら一番心の琴線に触れるのは自然/風景/景観のようですが、
それも一般の観光客が30分くらい楽しめるものが、
50-10秒くらい見つめれば「片付いて」しまう(笑)
(どうも私は静止物に関心が薄いらしい..両生類みたいだ)
→結果として旅行の目的が往々にして「移動そのもの」に移行していく..

 結局旅先でも、本や思考や人間観察の方が大事なのかもしれなくて。
そういった、ひとの「趣味や何かに打ち込める/新奇な経験を享受できる/
観光を楽しめる」といった状況が、羨ましくもあるのかもしれません。
 

090811

女子と鉄道