自由が丘編

  • 2009/11/25(水) 23:33:40

 先日の田園調布に続き、自由が丘に行きました。
んー10年くらい行ってない気が..

 基本的な街の印象は勿論田園調布のそれに近いのですが、
まぁもうちょっと雑然としているし、若いひとも多めかもしれませんねぇ。

 とりあえず真面目に(真っ先にモンサンクレールとかに寄らずに)、
調べておいた3軒くらいの玩具店を周りましたが、うち二つは正直期待外れ。

 私は雑貨屋さん(←さんづけ)を見ると、
何故かテンションが上がるタチなのですけど、
 それでも、玩具を扱うお店が半分雑貨屋さんみたいのだと、
個人的には不満を感じます。
その分単純に扱う商品(玩具)が少なくなるし、
当の玩具も、勢い機能よりオシャレ感重視になりがちなので..
 専業の発達心理屋さんとしては「どっちかにしやがれ!」と言いたい。
(”○○もやってる××”という業務形態に対し、なんとなく含むものがあるのかも..
ダブルミーニングって基本的に「堅いひとは混乱する」ので、避けたいものですねぇ..)


 結局定番?のNIKITIKIで、以下を購入

・DUOは..カードの構成から、本来のゲームよりとしても、
 ある程度高度な段階のお子さんに対する弁別課題として使えるかなぁと。

・アニマルメモリー:なんかもぉ、カード作るのが面倒くさくて(笑)
 事業開始からしばらくの間、暇な時期はいろいろと作ってましたけど、
 今は仕事中に作る時間的な余裕がないので、この程度のものは買っちまえ、と。
 市販のカードには、ラミネートした自作カードにはない厚みや質感もあるし。

*かつての職場の上司とのやりとり:
 私 「こういう事情でこういう課題が買いたいんですけど」
 上司「幾ら?」
 私 「○○○○円です」
 上司「ホリウチさんの時給を大体○○○○円と考えると..
    職場でその課題を作るのに何時間かを費やすよりも、
    買っちゃう方が安くあがるのなら、買った方がいい。
    勿論本当にその課題が必要があるものであれば、だけど」
 …なるほど、そういう風に購入物品のコストを考えることができるのね、と思いました。
 私は基本ドケチなので、1000円とかの玩具でも買うのに相当悩むのですが..
 ちなみにこのアニマルメモリーが、1000円くらい

・これは課題というよりはやや色モノ。
 課題を終えたケースが遊ぶ辺りの受容を想定して。
 見て分かるでしょうか? 模様をデザインしてその回転時を楽しむ特殊なコマですね。
  

 というわけで今回も、課題の話オンリーですね。
”課題の多い相談室”というとアレですけど。

 これでとりあえず今年の年末分の教材追加は一段落だと思います。

DUO

アニマルメモリー

デザインコマ..

物産展

  • 2009/11/20(金) 23:49:46

 …例によって療育機関のブログにあるまじきタイトルですけど。

 朝、ワイドショーを見ていたら、
本日から結構規模の大きな物産展をやるんだそうで、

http://sunshine.local-power.jp/search.php

それも丁度買い物に行く予定だった場所の近くだったので、
「ブラっと」訪れることに。
…こういった「その場のノリで動く」ことこそ、
予定調和を好む私には結構、乗り越えるべき領域、だったりするのでした。

 私は目的を欠いた行動ができない!
(故に「散歩」ができない..)ので、今回の目的は、
ある程度扱われている(らしい)工芸品の中に教材となるものがないかな?、と。


 …まぁそれなりに、楽しいもんですね。
品川の職人さんもお店を出していましたっけ。
「ちょっと昔のデパ地下の一種独特な匂い」の基礎となるのは、
(漬物ではなくて)お茶の匂いであった! ことを本日確認しました(笑) 
 …お茶ってすんごく匂いが強いんですね。
しかもその場でやたらと他の匂いに交わる(笑)
 でもひとと接していて
「…このひとさっきお茶飲んだな!」と喝破したことはないので(笑)
…揮発性が強くて、匂いがすぐに飛んでしまうのですかね..


 結局工芸品や教材になりそうなものは殆どなく、
(当然ながら商品には食べ物が多い)
その中でも教材として検討できそうなものは、希少。
 見つけたのはこれ

http://www.ringbee.jp/

 課題を買う判断をする基準のひとつが
「それを見て、(ひとつないし複数の)課題を思いつけるか」
なのですが、思いついたので購入。早速使ってみよう。

 その他”くじらナイフ”(ペーパーナイフ。鉛筆くらいは削れるらしいが..)
を異様に気に入ったのですが、高いので断念。2500円ですけど..
もうちょっと稼ぎが出たら買おう、と決めました。

 「欲しいものを買う/買えるようになる」ためにお金を稼ぐ!って..
人間として、とても健全な気がします(笑)
*考えてみると、これまでこういった発想をした記憶がない..
「欲しいものは、持っている/自由になる お金の範囲で買う」のが基本だったので。


 もうひとつ。物産展だから当然なのだけど、
試食できる商品がやたらとあり、
基本不機嫌顔の私ですら!勧められまくりなのですが..

 私はどうも試食が苦手で、現状では100%回避の姿勢で臨んでおります。
小学生くらいまでは(以下のような思考が成立していなかったので)
何も考えず差し出されたものを食いまくっていた気もしますが..

 私の中では「何かを頂いた」=「相手に借りを作った」という意識だったり、
しかもそこで(根が正直なので、つい)「おいしいですね!」とでも言おうものなら..
更に買わねばならないストーリーが展開していくようで、近づけない..
*「美味しいなら買えばいいじゃん」って発想が根本的にないのは、ケチだからです。
 ↑仕事上「有言実行(子どもに対して言ったことはきちんと実施する!)」
の意識が高まっているので
(この傾向も、特に独立以後、指導中心に移ってから顕著)
それだけに肯定的な言葉を口にしてしまうのが、怖い。
 ことばには、そのような魔術的/呪術的な効果も確かにあると、
言葉で仕事をしている身としては思うのです、が。

 一方で、何かを頂くことによって
相手との間にある種の「関係」が生じること、
呪術的な表現(まぁ仏教用語ですけど..)で言い換えれば
そこに「因縁が生じる」ことを恐れるというか..

 …全然冗談ではなく、
この種の「誤った」思い込みで動く/行動を規制される辺り、
ある種のひとびとの堅さや誤信念と基本的に同質のものではないかと思います。
 (あくまで個人的な考えですが、
 古代の巫女/シャーマン的な存在や魔術/呪術師、錬金術師など、
 一般人からすればなんだかなーな方向性の方には
 そのテのひとが多かったのでは?と思い、勝手に共感しがちです。)

 
 …というわけで。

 しばしばケースに対してイヤなこと/嫌いなことを強制する以上は!
私も次の機会には、そこで差し出される試供品を片っ端から平らげ、
「これ、凄くおいしいですね!」と口を極めて絶賛しまくり、
その上で 全て爽やかに買わない 行為を、
課題として!実施せねばならないのでしょうね..
 
リングビー

買いたかった.. くじらナイフ

歩く

  • 2009/11/18(水) 23:34:48

 今年も秋に、関西方面に旅行に行きました。
(いつ行ったのかは敢えて書きません)

 まぁ旅先で考えることは、大体似たようなことなのですが(笑)
 http://clipsince08.dtiblog.com/blog-entry-101.html


 今回は紅葉を愛でる関係で鞍馬山等を歩いたのですが..

…なんか異常に疲れますね(笑)
旅行に行くと、足の疲れが普通じゃない。
勿論「平素より多くの距離を歩くから」というのもあるのでしょうけれども、
とはいえ仕事で一日立ち仕事だったり、歩きっぱなしのことも、ある。
けれどもそれを圧倒して疲労するのは、何故?

 思うに舗装された道と山道では、疲労の度合いは本質的に違うのでしょう。
舗装されていない道、
特に山道のように、注意しないと足をとられ、転倒する危険を抱える場所では、
当たり前ですが歩く行為それだけに!非常に集中する必要がある。
その一歩一歩を、きちんとした(歩ける)地面に配置しなければならないし、
段差や坂ではそれに加え、踏み出す足の次に踏み出す地点まで考えて!
歩を進めなければならない。
 そうやって脳の中のかなりの処理容量を、歩く行為に割く必要性が生じるわけで、
その分「頭を使う」のでしょう。 実際舗装道路に戻ると心底ほっとする。

 勿論肢自体も、その行動がもたらす様々な刺激に「慣れて」いない。
様々な平素とは異なる大地の感覚を感じ、日々受けない類の衝撃を受け、
吸収し、またその刺激を脳に伝える..
 その分の負担が心身に来るのかなぁと。
とにかく(距離を見るに)大して移動していないのに、肢がブルブル震える程で(笑)

 どうでもいいけど、山を歩くと距離感覚の意識は向上する、気がします。
「あと300m」とかいう情報が、山ではやたらと切実!になるのですね..


 …舗装された地面に囲まれている限り、
私たちはその種の「意識的な情報処理」をせずに、
概ね呑気に歩き、移動することができる。
そもそもが歩くという行為自体をさして認識することもなく、
「半自動化」した行為として実行できる(赤ちゃんや幼児はそうではない)!
 人間(生体)って..つくづくよくできているなぁと思います。
 
*私はこの種の(その他、食行動とか、読書!とか、
 言語/コミュニケーショ行為の一部とか..)
 「半自動化」された(しかも比較的複雑な)人間の行動について、
 12歳の頃(に深く考え込んだ出来事があったことを明確に記憶している)
 から今に至るまで、強い関心をもっていました。
  この種の行動のメカニズムを検討することで、
 人間についての理解が深まるのでは!とでも思っていたのですが..
 …この件はいずれ改めて書くこともあるかもしれません。
  私は当時(1984年か85年)、この状態を「ロボット・モード」と名づけたものです。
 心理学の世界ではこれに似た概念として”flow状態”というものがあり、
 また本日全くの偶然に!読んでいたコリン・ウィルソンの本に
 「オート・パイロット」或いは「ロボット」として上記概念が提示され、
 しかも「私は1957年にこれを考え付いた」と言われてしまった(笑) 
 (*flow状態は1975年)
  昔のヒトには適わない..

 単に歩くということが、それだけで「頭を使う」行為となっている方が
(知的に/発達的に)良いことなのか?
それともそちらの活動に頭(処理容量)を使う分、
純粋な思考過程(?)の処理容量がまわってこなくなるので、悪いことなのか..
…どっちなんでしょうね。
 私はとりえあず、身体→脳に対し単純化された(舗装された)刺激よりも、
より多くの、複雑な刺激(情報)が与えられた方が、感覚統合の観点では
「得」、なのではと思っているのですが。
同じ時間を過ごすなら、ロボットでいる時間は少ない方がいい。
まぁ、自身の一部をロボットにして、
その一方で何か別の意図的な行為をする分には、
それはそれでいいと思うのですけど。

 一方でロボット・モード(行動の馴化→半自動化の過程)は、
それなりに人間(生体)に備わった(適応の観点でも)優れた機能だし、
それに「乗っかって」更に別個の活動を同時に行うことも可能にするし、
便利は便利なのですが、その分「個々の経験/情報を浪費している」というか..
「考えるべきものを考えない」経験を積み重ねているといった側面も、
少しはある気がしているのです。

*ケースのお子さんの相談で
 「ウチの子は、凄い確率でウ○チを踏んでくるんです!」
 という事例は..この場合、どの水準に位置するのでしょうか、ね?
 …「ロボット過ぎです」「ロボットに乗っかり過ぎです」とか? 
  個人的には、恐怖が強い/過敏が強い系のひとは、
 それなりに足元にも注意を払う傾向が強いので、踏みづらいと思うのですけど。
  私自身は踏むレベルのミスは希少で(人生の中で皆無、とは言えない..)、 
 一方で道のそこらの出っ張りやとっかかりに躓くことは、そこそこ多い。
 まぁつっかかるのは「腿があがらなくなる」ことに関係して増える、
 「要するに老化現象」って話もありますが..

 
 …「移動すること」は人間の基礎的な欲求とも繋がる行為であり、
(それ故にこそ、ある種の自閉症児が
「○歳まで(機能的な問題はないのに)歩かなかった」というエピソードを聞くと、
その子の欲求のあり方自体が特殊なのであろうな、と推察できるわけですが..)
 人間が行う反復行動の中でも最もポピュラーなもの、と言えるのでしょう。

 
 ある感覚統合レベルで際立った特徴/問題を有するお子さんの指導に際し、
シライがぽつんと
「あの(タイプの)子は、(個々の問題に対応した適切な課題設定を云々する以前に)
歩く量をこなすことが大事なんですよね」と述べ、私はそれを聞いて、
そのとき妙に感心したのでした。

 確かに、歩くことの数をこなすことは、大事だと思います。
それで筋肉もきちんと配置されるし、重心も定まるし、感覚統合も為される。
何より「人間としての一番基礎的な活動について経験を積み、熟練することができる」わけで。

 …当該のお子さんについては、丁度1年位前にそのアドバイスを(多分)受けて以後、
日々きちんきちんと(相応の努力をして!)歩く習慣を積んで頂き、
(勿論その活動単体で、どうこうしたわけでもないのでしょうが..)
気がつけば感覚統合の水準も上がっているし、身体もしっかり!してきたのでした。
 


 もうひとつ。
「重力」というファクターも考慮する必要があるなと、思いました。

 私たちは意外に意識していないことが多いのですが、
体重の少ないものにかかる重力は、
重いものにかかるものとはかなり、異なる。
 昆虫や小動物が壁や天井に平気で貼り付けるのは、
脚部の力や吸着力が強いからというよりは、
「かかる重力が少ないから」と言えるわけで。
 
 上記思考を踏まえると「マンションの10階から落ちた赤ちゃんが、無事!」
などのニュースを見る時にも、
「そんな高さから落ちて!あり得ない!!」
とは単純に言えなかったりするわけですね。
落下時に赤ちゃんにかかっている重力は、
体重相応に(私たちに比べ、かなり!)低いわけで
(勿論向きや方向、特に途中で何かに当たり落下速度が軽減したか!等も重要なのですが)。

*だとしても数年前に、それこそ15階辺りから、
 飛び出して!落下して!生還した 
 某かなり有名な俳優などの事例は..
 あの事例こそ!超能力やその他超自然的な要素でも想定しないと説明できない気が..

 反対に「(巨漢の)レスラーが風呂場で転倒して骨折」などの状況もあり。
ここでは「…鍛えているのに、何故?」とか思うわけですが、
 やっぱりひとは、重力を無視できない..  
 
 子どもにかかっている重力は、大人の肉体にかかるものよりも少なく、
故に(勿論大人と子どもの筋量や体重の比較もした上で、のこととなりますが..)
同じ距離を歩いても子どもの方が楽、って場面も、あるような気がします。
その他の運動状況でも、それに同じ。
課題によっては軽い/小さい子のほうが有利な場面も多々ある
(と、異年齢グループの運動課題実施状況を見て、最近思うことがあります)。

  そんなことを意識しておくことも、大事かな、と思ったりします。
 子どもが感じる疲労の性質も..
そもそも子どもにかかっている重力からして、
大人のそれとは違っている→両者は異なる感覚世界に在る
って部分を、時に意識すること、ですね。

 山道ですれ違う子どもが、やたらと軽がると移動しているのを見ると..
そんなことを考えたりもしたのでした。

…単に「その辺で育った分鍛えられている」、ってだけな話なのかもしれませんけど。
 
貴船神社

関係ないけど神戸の鉄人