発達と適応と、嘘

  • 2010/02/24(水) 23:38:10

 最近考えていること:

 某ケースが..
もんのすごく真摯に!
「…そ、その努力を、どこか他の場所で使われては如何でしょうか?」
と問い質したくなるような真剣さで!

「がんばらない!」

 という態度(具体的には提示された課題を拒否するわけだけど..)を貫く姿勢を見たとき
思ったのが、

「…要するに物凄く正直なんだよなぁ、このひとは」

ということでした。

 考えてみれば努力は基本、理不尽なものです。
努力して!課題をクリアすれば、次に必ず!
それ以上に困難な課題が提示され、
…ひたすらそれをクリアしていかねばならない。

 発達も適応も、その種の盲目的な努力によって支えられるものなのだろうけど、
その道筋が見えない当の児からすれば、
「努力する」→「褒められる」で満足はできず、
「努力する」→「更に努力させられる」の流れにウンザリする気持ちも、
…分からなくはないのです、私だって。

 その場面で後者の理解を採用してしまうなら、
そこで努力を放棄して、課題へ取り組みさえしなければ!
「それ以上の努力」を提示されることもない。
そうして今居る位置の刹那的な(でも当人は永続的なものと理解しているのかも)
居心地のよさに、ひたすら浸っていられるわけで。
(これって、いわゆる引きこもりの精神構造にも、近いのかもしれません)
…といった風に考えていても、不思議はない。

*カート・ヴォネガットの小説「スラップスティック」
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4150105286/ref=pd_lpo_k2_dp_sr_1?pf_rd_p=466449256&pf_rd_s=lpo-top-stripe&pf_rd_t=201&pf_rd_i=B000068HWR&pf_rd_m=AN1VRQENFRJN5&pf_rd_r=1F6JHG7JB1JZS0XX11D4
 の序盤で、そのようなネタが扱われています。
 超天才で生まれた双子が「そっちの方が具合がいいから」
 と、ひたすら知的障害のフリをして、し続けて!
 家族や使用人や周囲を騙し続けて十数年を過ごすという..
 私はその描写(知的障害のフリ部分)の面白さに笑い転げた一方で
 強烈な戦慄(どの種の戦慄かは敢えて書きませんが)も覚えたものです


「この子は、自分の浸っている感覚的な世界に居れば、
 それで一番、幸せなのかもしれません。今も、これからも」

「にも関わらず、その幸せ状態から引きずり出してでも、
 何らかのスキルを入れようとする大人の行為って..正しいのでしょうかね?」

 ↑発達相談の仕事始めて3年目くらいの頃、
「かなり明白な自閉症」の診断をもつお子さんを前に、
極めて聡明な保護者の方と、そんな話をした記憶があります
(話しているのは保護者の方でなく私、です。
 つくづく珍しい発達相談だと思うのだけれども)

 実際、私はこの問題に対する「正しい答え」を、
知っているとは言えない気がします
(ま、建前としての「答え」は分かるし、言えるけど。
 そっち側=努力を尊ぶ側の話も大事なのですが、
 話がややこしくなるので、今回は控えます)


 結局のところ

・やりたいことだけをしたい。やりたくないことはやりたくない
・欲しいものだけが欲しい。それ以外のものは欲しくない

のは、全ての人間の根源にある欲求であり、
ある種のお子さんは、それに対して「やたらと正直で忠実」なだけなのでしょう。

「自分の思いに対し正直でありたい!」

という希望は、誰しも基本的に備えているものなのだと思います。
私も多分その想いの中で、こうして仕事をしているわけであり。

 ひとの中にあるその種の欲求に対する「正直さ」は..
私は、嫌いではないのです。
ただその正直さだけで、当人が望む人生が貫けるかというと..
それどころか人並みに幸せに生きていけるかどうかというと..
それは多分そうではない。
 そのために、いろいろなやりたくないことをやって!
ひとはそれに耐える/我慢するスキルを身につけていく。
 具体的には
・言いたいことを容易に口にしない
・やりたいことがあっても我慢する
・やりたくないことでも、言われればやる
 等々。

 それは、子どもに「嘘を注入する」過程なのかもしれない

 私は..基本状態として、ある種の苦痛に対しかなり我慢強い人間だと思っていて
(…まぁこれに対しては異論もあることでしょうけど..)
その我慢によって!ここまでどうにか生きてこれたのかなぁと思うこともしばしばなのですが、
その観点において、他者の有する「我慢強さ」や「衝動コントロールの高さ」
のような属性を、高く評価することも多いのですが..

 でもその種の属性って、「本心を押さえつけ」たりしたものである以上、
ある程度「嘘」と言えるものなのだよなぁと感じてもいるのです。
 まぁ嘘だって、ついているうちに「本気」と一緒くたになり、
…そうして「他者の幸福」なんぞを本気で希求できる「いいひと」が、
精錬されることだってあるのかもしれませんが。

 …でもその本質はやっぱり、嘘かなと(笑)
*私の人間観の根底が性悪説に近いことは、既にこれまでに述べてきた通り

*1960-70年代の心理学のソースですけど、
 ある研究結果によれば、
 ひとは目覚めてから就寝するまでに、平均で日に200個の嘘
 (とりあえず事実を事実として扱わないという処理全てを指す。
 …。「まぁ奥様、今日もお綺麗ね!」「その髪型、素敵!」
 レベルから、かなぁと勝手に推測しています。
 ちなみに私は上記2種或いはそれに類する嘘発言をしたことは、ありません)
 をつく、のだそうで..


 そういう意味では、私は、仕事の上で子どもに対し
「本心を押さえ付け、嘘の態度をとり、嘘を口にすることを教えている」
という側面も、あるのではないかなぁと。

 適応ってのは、そういうことも含めた上でのものなのですよね、きっと。
実際「適応」とは、当人がどれだけ自分の本心を押さえ込み、
周囲の意や在り方に合わせるか・合わせようとするかという過程そのものとも思えます。
 …そういう意味でも、「概して嘘のヘタ」な男性っていうのは..(笑)

*詐欺師について書かれた本で、とある結婚詐欺師が
 「自分は他人に対し嘘はつくけど、自分の本心に嘘をついたことがない」
 と断言していました(笑) いっそ弟子になりたいです。


 …なので、
私個人としては発達と適応が関わる場面でも、
その辺りで嘘の扱いについてややこしく考えることはそれほど、ありません。

 子どもが嘘をついたり、その嘘が次第に洗練されてきたりすることは
発達の観点では大いに結構なことであり、
適応面でも長期的に見ればそれほど悪いことでもなかったり。
するのだと思っています。

 ただそれについて..例によって道徳教育は、
「嘘は、ついてはいけません」
の一言で、済まされると思っているのでしょうかね..

 実際には「ある種の子」は、
その生来の正直さに加えそれが道徳教育で強化された結果!
ちょっとやそっとでは崩せないような「融通の利かない善良さ」を獲得してしまい..
 それが故に!
他者の悪事を追及することに意欲を燃やした挙句に排斥されたり、
現実の(しばしば生じる)デタラメさに傷つき、
混乱したりさえしているのですけど、ね。
 私はそういう例も見てきた気がします。

 …私が仕事上口にすること:
・心の中で留めておく分には、どんな悪態をついてもいいし、
 どんなひどいことを想像してもいい。ただ口にはするな。
・即座にバレることが分かるような安直な嘘はつくな。
 それではついた当人が損をするから。

 …そんな考えも踏まえ、
ここしばらくは指導場面やグループ等の場面で、
様々な子どもとの関わりの中で
(諸般の事情から、ある程度年齢や知的機能が高い層を中心に扱うことになりますが)

・嘘をつくこと
・その嘘がバレないようにすること
・他者の嘘を見抜くこと
・「事実とは異なる」情報を、それと自覚の上で扱うこと

 等について、
「課題として」取り組ませたりしています。
*この場合、「嘘に過剰適応」する可能性もなくはないので、
 そこはあくまでも課題として!限定した条件から始めるなどの、
 安全策についてもそれなり配慮はした上で、のことですが


 最後に。
2007年の秋くらいだったか? 当時の職場の上司に

「ホリウチさんは、○ーカって思っているひとに
 バー○!って表情で対応しちゃっていることがあるけど、
 …あれは控えた方がいいと思うなぁ」
 
 と言われ(笑) 
 ↑心理相談員としてその言われようは、相当に面白かったのです。
  私は「それは”伝えたい相手”を選んで伝えているだけで、
 プロとして”伝わっちゃまずい”相手には、そんなことしません」
 (*話題になっている対象は、ケースではない類の方です。念のため)
 と返したかったのですが..
 流石にそれは可愛くないなぁと思ったので、苦笑するに留めました。

  …もうひとつ。大学に入った直後、友人某に

 「ホリウチくんは、○カに対する寛容さがないね」

  と指摘され、その表現の精確さに、身震いする程の感動を覚えました(笑)


 そんな私が、どっち側の人間なのかは..
まぁ私自身は、分かっているつもりなのですが。
 

高慢と偏見と、ゾンビ

勉強会?(準備)

  • 2010/02/14(日) 23:03:09

 既にクリップ利用者には伝達しましたが

3月5日(金)の11時より、勉強会?を実施します。
 テーマは 「発達と発達検査」

 詳細は
 http://clipsince08.web.fc2.com/event.html
 を参照のこと

 *この活動については、クリップの利用者外の方:
  (保護者及び児童や発達に関する専門職種も含む)でも参加できます



  勉強会については、既にこれまでにブログで述べた
 http://clipsince08.dtiblog.com/blog-entry-163.html
 ように(前の職場で2007-2008年度に年長児の保護者向けに実施したものと同じく)
 各種発達上の問題を抱えるお子さんの保護者を対象に、
 発達障害に関する広範で網羅的な、知識や情報を伝達することを
 主たる目的とします。
 
  個別相談の場面では、個々の問題やエピソードについて
 対応はしていくものの、その全体を貫く基本的な知識の伝達や、
 対応の軸となる考え方・捉え方についてきちんと時間を割いて説明することは非常に稀であり
 (*実際この種の「勉強会的・講座的な情報提示を、個別相談場面で!
 実施したことは、前の職場を通じても、片手で数える程度しかない)..

  この種の体系化された「まとまった知識」「まとまった情報」の提示を
 特に子どもの発達上の問題について理解を得てから多くの時間を
 経ていない方に向けて!きっちりと、行っていくことは、
 長い目で見れば家庭レベルでの対応を大きく向上させていくのでは、
 と私は考えています。
 *私が「(保護者/家庭を含む)現場に向けての講座や勉強会的な活動」
  を比較的重視するのは、正にそのような理由からに他ならないのですが。

   
  最初に行う講座テーマとしては..
 いろいろと考えた上で「発達と発達検査」を扱うことにしました。

  「発達」という言葉は、この仕事をしていれば日常的に扱われる用語なのですが、
 一方で相談相手の方々に対し、意外なほどきっちりと定義されていないという
 印象があります。
 (実は「適応」も。
 適応は..おそらく発達よりも更に、現実に即した適切な定義が難しいものと思われるのですが)

 そして検査は..
 検査については既にブログ上で何度か意見を述べてきましたが、
 (http://clipsince08.dtiblog.com/blog-entry-180.html 等参照のこと)
 …その検査結果が、特に「ある種の方々」によって、
 余りにも大胆に!理解を欠いた状態で!
 しかもその割りに信じられないほど力強い意味合いを込め、
 用いられてしまう ことへの不安と不満が、常にありまして。

 *これについては現場レベルでも、「よく分かっているひと」
 は既に明確な問題意識を持っており、それは時に私の耳に入ることもある。
 …問題は常に「よく分かっていないひと」が、
 「自分はよく分かっている!」という根拠のない自信の下に、
 現場の仕事の在り方を規定しちゃっていることなのであり..

  一方で保護者の方に対して、
 当の検査の特性や問題点等の現実的な情報の提示が、
 余りにも不足している!という現実認識も、あるのです。

 *心理等検査の実施側が、一般に「検査の詳細を保護者の側に伝えない」
 姿勢を保つには、多くの場合「実施側としては相応の」理由があり、
 それは私にも全然理解できない!でもないのですが..
  残念ながらそれは基本的に「当人(検査を受けた当人とその保護者)に属する」
 筈の重要情報の扱い方・在り方としては、時に
 「…ありえなくない?」と思うほどぞんざいな扱い、であったりするのでして。
  そして不十分な情報提示の下に示されたその”超重要情報”が、
 子どもとその保護者に対し専門家側から余りにも強い確信を込めて示され、
 (最近思うのですが「よく分かっていないひとほど大胆な発言をする」のです、よねぇ..
 まぁ実際にはその双方の間でほぼ因果関係って、成立しちゃうのでしょうけど..)
 またその「数値」を元に、余りにも重大な判断/選択がなされてしまうという事実があり..


  最近とある本で見かけた言い草:

 「評価は、繊細な心の持ち主にはできない」

  私は存外、名言だと思います(検査は、勿論評価の一種です)。
 評価(アセスメント)ってのは本質的に繊細ではない!作業なのでしょう。
 *私は勿論繊細なヒトではないので、評価は日常的に、常に!しています。
  「評価なしに成立する程、いい加減な仕事であってはいけない」と思うので。


 …というわけで。
 初回からそれなりに重要な内容になる予定です
 (今後は参加者や全体のノリを考慮しながら、
 それなりに崩した内容も扱いたいとは思っていますが)
  で、先ほど資料の作成が一段落しました。
 例によって何やかんやと、以前に実施した同タイトルの講座から、
 大きく改変されています。
 対象者の特性を踏まえ、
 あくまで綺麗事でない!現実に即した、話をという方向へのシフト、ですね。


  今後の講座内容については、参加者の意見を容れながらと考えてはいますが..
 一応次回(4月)は、個人的に保護者に伝える内容として、
 常に私の中で重要度の最高に高い!
 (個人的にはこの発想を踏まえた子育てと知っている子育てでは、
 対応の質は全然!変わると思っています。
 まぁ無意識レベルでこの発想を完遂しちゃっている「優れた」保護者/対応者は別にして)
 「行動分析」をテーマに実施する予定です。

  これについては..既にどこかで講座を受けた方や
 個人的に勉強している方は別にして、
 参加できる方は是非、参加して頂ければと思っています。

発達と発達検査?

発達と発達検査?

最大の消耗度

  • 2010/02/06(土) 23:54:16

 私事ですが本日、
自身の一日中の相談/指導セッション実施数の最高記録を更新しました。

 既に昨年の時点で、
前の職場における最大限度数タイのケースに対応する日は、結構、あったのですけれど。
今回は実に、その上限を軽く!超えた数を一気にこなしてしまいまして..

*理論上は更にあと1か2ケースは入れることは可能ですけど、
 まぁ無理や無茶はしないまま、仕事を続けたいものです。
  ただ..次年度(4月以降)のどこかの段階で、
 私個人として「何らかの意味での限界」に到達するという予測は、あります。
 そのときに果たして自分がどう壊れるのか(笑) 今から楽しみです。


 更に言えば、
本日のその対応は全て連続!でのことでして(昼の休憩も、無し)..

 既に2週間前からそのような事態は確定しており、それなりに覚悟しつつも、
実際にはこれまでもその種の上限更新が危ぶまれる日には
なんとなく誰かがキャンセルを入れてくる」というのが通例だったので、
…それを心のどこかで期待しつつ(笑)
 *前の職場ではキャンセル=純粋な喜び、でしたけど、
  今は純粋な実入りの低下なので、勿論喜べません。

 で、結局どなたもキャンセルしませんでした。はい。 

 やり遂げた上での感想としては
…死ななかった
という感じなのでした。

 それでも言えることは、
「前の職場の○ケース(当時の最大限度)の仕事の方が、今日の仕事より厳しかった」
ということで。
 やっぱり当時の仕事の辛さは、純粋にケース数がどうのこうのというよりも、
その前後の、直面している仕事とは無関係な雑務や他者対応のストレスだったのかなぁと。

 勿論今日は、激務になることは初めから分かっていたので、
(余裕があるときは)「ケースを前にすると基本サービス精神旺盛」な私も、
あくまで時間厳守!で、極力無駄な動きを避けて仕事はしていた、のですが。


 そして恐ろしいことにそんな今日は、
その最大ケースをこなしつつも、
なんとなく定時にあがる時間までに、
その殆ど全部の報告書をあげてしまった..

 最近思うのです。
一度頭が激しく動き出すと、
その慣性というか勢いを止めることができずに、
そのまんま別の仕事まで一気にこなしてしまうことって..
振り返ってみると意外にあるな、と。
 相談は基本的に頭をフルに使う活動なので、
それをある程度以上連続でこなすと..
脳がある種の過活動状態に、移行してしまうようなのです。

 昨日も午後の(久しぶりに)空いた時間に
確定申告の計算をかなりの気合でこなしていたら、
その勢いが止まらず、新しい人間学講座の資料を作ってしまった、のでした。

で、それを本日のラスト仕事で、使用した次第。
(今回は使用対象の年齢が高めなので、表記も内容も高度)

 何気にこのテの資料作りは..
(講座向けの資料だとかなり下準備をして、
それなりの時間を空けて腰を据えて取り組む必要があるのですが)
気合で30分くらいでOから組み上げてしまえる、ことの方が多い。
 以前はそもそもアウトラインを事前に書いておく必要があったのに、
最近はそんなものがなくてもパワポで直接書き出して作ってしまう..
…殆どノリ、でありながら、それでそこそこ纏まった資料が作れてしまう。

 しかもその「ノリで一気に組み上げる」作業が、結構楽しかったりで(笑)

 この仕事は基本的に(サービス業=第三種産業だし)
「形のある何かを生み出す」類のものだとは思っていないのですが、
こと資料作りについては..

 自分の中にある「クリエイティブ」な部分を刺激する作業として、
結構楽しめていたりします。


番外編?

番外編?