二つの 「Hで始まる単語」

  • 2010/07/30(金) 23:24:12

 最近本を読んでいて、非常に感銘を受けた言葉、
二つの「Hで始まる単語」について。


1) 意見を異にしたり、理解できなかったりする他者に向けて提供できる、
  もっとも押し付けがましい行為とは?:

 「そのひとを治療すること
  →そのひとを精神的/肉体的に不健康だと決め付けること:
  Health の問題として、扱うこと」


2) 論争に勝とうと思ったら、考えうる”最も知的に怠惰な方法”とは?:

 「相手が"人間性(Humanity)を欠いている" と主張すること


「…仮にあなたがわたしを、”人間性を欠く”といって非難したとしましょう。
それが実際に意味するところとは? 
いったい何をしたら、そんなふうにいわれるのか? 
平然とひとを殺したとき? 子犬を溺死させたとき? 肉を食べたから? 
ベートーヴェンの第五番に感動しなかったから? 
それとも単に、人生のあらゆる局面で、あなたと寸分違わぬ感情をもてない 
-あるいはもとうとしない- からですか? 
あなたの価値観と目標の全てを共有できないから?」

 グレッグ・イーガン.1995/2004「万物理論」創元社.p.101/l8


2004年の初読時にも、
この部分を読んでいて非常に強烈なインパクトを受けた記憶があります。
上記の話者がまた、作中で
「極めて自閉症的な思考様式を持つ個人」として述べている内容、なのです。
(イーガンはSF作家ですが、その小説中で自閉症或いはそれに近いモチーフを
 扱う事は比較的多い、気がします)


 上記発言のどこに、私が強烈な反応をしたのか?

 ここで述べられる「自閉症的」な人物の指摘は、恐ろしいほど精密で適切だと思うのです。
ゾクゾクするほど強く共感できるのです。にもかかわらず..

 多分、人間の大多数は日々、日常的に
この種の「Hで始まる単語」のイメージを誰かに押し付けて、
そのことの本質的な押し付けがましさを許容し、
また自身の”知的に怠惰な部分”に目をつぶって!
生きているのかなと思います。

 そしてこの場合、その怠惰な思考をする人間の側に、私も含まれる気がして..
(*まぁ私は”怠惰”を嫌うので、その言葉に過剰反応しているだけかもしれませんけど)

 実際、正に彼の述べるように、
「怠惰な論争者」や稚拙な扇動者
(その他何かを主張する者全て)は常に、
正統な論理のみで相手に対抗できなくなると、
様々な言葉を用いながらも、
基本的には「(論争相手を)不健全である」「普通でない」と述べるか、
「(論争相手の)人間性の欠如」を批判することになる、と思います。

 ”怠惰でない論争者”であれば、そこで
「あなたのそのやり様は適切でない」と述べ、それが通らなければいけないのに、
世の中で通っているのは概ね、その怠惰さを擁護する側の在り方だったりで。


1)も、恐ろしいストーリーだと思います。
 「自分たちの物差しで理解できない」というただそれだけの理由で、
 その対象を不健全だ/不健康だと決め付ける行為は..
 しかしそれは、日常的に起きている。
 場合によっては「診断」なり「見立て」なり評価という行為自体が、
 この種の価値基準によって行われていることを、
 人は理解していなければならないのかもしれません。

  私は多分、この辺りについては感覚的には理解できているのだと思います。
 とりあえずケースを「治療」する気にも「矯正」する気にもなれないので。
 (「正」って言葉が、怖い。自分が正しい側にいると信じている人間も..)
 ケースに対しては
 「適応するために、自分の一部を曲げて欲しい、
 自分なりに好きに生きたいし、他人に合わせるのが面倒なのはよく分かるけど(笑)
 できたら定型発達の側に合わせてやって欲しい」 とは思うのです。

 治療っていうのは..
 「病気」に対しては適用できるのかもしれませんが、
 人間の行動や適応を扱う領域では、恐ろしすぎて容易に口にできない、
 強い言葉なのだと思います。
 
 「健康」という概念も、また。
 自分が健康だと思い、それと口にすることは..
 時に自分とは異なる性質をもつ他者を不健全だと決め付ける行為にも
 とられかねないと思います。

*10年以上前か?
 某兄弟横綱(笑)の母君(当時)がインタビューか何かで、
 「うちの子達は皆健常です」 「二人とも健常に育っていて
 と連呼するのを聞いて(まぁ深い意味はないのだと思いますけど..)、
 ゾっとした記憶があります。


 私は..健康とか不健康とかは、仕事上口にしないと思います。

 「その行為は健全ですね」とかは偶に口にしますが、
 それはなんというか皮肉交じりに
 「定型発達のひとって、そういうことしますよねぇ。
  それをやってあげて、えらいえらい」
 というようなやや複雑な心情の吐露であることもあるかなと(笑)
 
  誰かに対し「人間性を欠いている」と、
 面と向かって批判したことは流石にないですけど(笑)
 (そもそも私が他人の人間性についてどうこう言える立場ではないわけで..)
  確かにそれが怠惰な手段で、しかし自分自身の心理的な劣勢を挽回するのには、
 優れた手段であることは、どこかで認めている気が、します。
  要するに「自分と異なる意見をもつ他者」に対し、
 「あいつは人間として問題がある」「人間味がない」とか
 心の中で思えば!それで気が済むわけですから。

 
  私がこれまで仕事をしていて、
 …まぁ合わないだろうなぁと思う類の方(笑)は、
 確かに今思えば、その多くが
 「その種の思考や発言を何の疑問も持たずにできる」類のヒト、でしたね。
 
  この仕事をしていると、
 そういう”強い言葉”を容易に口にできなくなるなと思うのですが、
 その変化は(個人的には)多分、人格の陶冶なり、
 それに類するものに繋がっている気がするのです。
 
  これまでも何度も述べてきた気がしますけど、
 「ものを知らないひとほど、平気で強いことを口にできる」のでしょう。


  青木雄二氏は、”とるに足らぬ凡人”を評して
 「関西弁でいうところのアホですわ」
 と見事に一括表現しましたが(笑) 
 それくらいユルいニュアンスで用いる分には、
 アホって言葉も、いいなぁと思います。

二つのH

講座続き

  • 2010/07/16(金) 23:30:28

 本日は午前に勉強会、夜間に講座と、講座仕事の日でした。

勉強会?のテーマは、
「機関との対応について」

 個人(保護者等)が機関(まぁいろいろ)と対応するにあたっての
注意点や様々な手法について、という感じでしょうか..
前の職場の勉強会以来の持ち越しで、
個人的には結構盛り上がるテーマであり、
私も話していて楽しかったりするのです。

 何が楽しいのかを考えると..
組織なり機関がどのような状況で個人に対し、
好意や、そうではない(笑) 感情を持つ仕組みを仔細に検討することで、
機関に対する理解なり考えが、意外なほど深まったりするものであり..

 このテーマ中で私が追求しているものは、
個人が、ある目的をもって他の機関(或いは個人)と対応するときに
「有効な」!様々な方法論=”戦略的な関わり”を検討すること、のようです。どうやら。

 実際には、
「こういう言い方をすると、機関/組織は緊張する/イヤぁな印象を持つ」とか
「こういう態度をとられると、組織/機関/個人は、
 嬉しくなってついサービスしてしまいがち」
とか、そういうネタに終始しているのですけど(笑)

 こういうことを..
まぁ定型発達レベルの方(特に女性)等は、
別に理論化せずとも自然にやれちゃったりするのかもしれませんけど(笑)
個人的には
「理論化することで、改めて見えてくるものもある」
という感じなのです。

 本を読んでいて、そういう意味で
「この作家は個人と個人との対応場面を、妙に!”戦略的に”表現するなぁ」
等と感じることがあります。
 今ふっと思いつく辺りでは..
アレクサンドル・デュマ(大デュマ:「三銃士」とか「モンテ・クリスト伯」)。
デュマ作品の登場人物は..か弱き高貴な女性であろうと何だろうと、
皆やたらに男性的な思考に終始し、とにかく常に論理を振りかざし、
どいつもこいつもそんな行動方針を貫こうとするのが、
読んでいて妙に面白い..
 あとは..
最近「ナニワ金融道」その他故青木雄二さんの著書を読み返しているのですが、
あの方もそんな感じで..
 それはそれなりに、部分部分で実によく、
「人間」が描けているよなぁと思ったりします。
 
 まぁどちらも、かなり極端な例ではあると自覚しているのですけど。

 次回ですが、8月はお休みで、

9月3日(金)11:00-で テーマは「感覚統合」です
  http://clipsince08.web.fc2.com/event.html
 いや、専門領域ではないのですが
(前職で一度、講座仕事で扱っていたけど)
私なりに、ここまでの知識や経験をまとめておこうかな、と。


 …全然どうでもいいことなのですが、
 本日、事業開始3年目にして、初めて事務所で昼寝しました。
(以前に風邪気味で臥せってたことはあるけど、寒くて寝れなかった)
 結論としては「アイマスクと耳栓があれば大丈夫!」
まぁアイマスクは「課題」として買ったのだけど..
その他お泊まり会対応で、最近何気に寝具は充実している気が..

 それも夜の講座を控えて、のことなのです(昨晩寝そびれた)


 夜は近隣の保育園で、講座。

 内容的には保育園の先生向きの一般的なものなのですが、
全体に(例によって)やや難し目な内容に終始しつつも、
全編そこそこ良い感触を覚えつつこなすことができたかなと思っています。

(*どうでもいいけど、講座の感想として
 声とか抑揚とか話のリズム等を褒められたのは、初めて。
 「早口」とご批判を受けることは”二度に一度”位は、あるのですけどねぇ..
  ただ個人的には、かなりの早口!になったときでも、
 それこそ講座のリズムというか、筋道を外さずに、
 ”聴衆の意識を掴んだ”状態を維持していられたときには、
 ご批判を受けずに済んできた、気がしています)
  
 終了後の参加者の方々からの評価も、
個人的には満足のいくものでした。はい。

 講座をして帰るとテンションが変な状態になり
(内容がリフレインされたり、言うべきだったけど言わなかったネタや
 挿入すべきであったと自分では思っているギャグを再現したり..)
帰途に読書とかに集中することができません(笑)
私だけでしょうか..

 やっぱり2時間通しで喋ると、喉が枯れますね。
ついでに体重も減る(気がする)。

講座

踏査再び

  • 2010/07/11(日) 23:58:48


先週から、踏査づいています。

とりあえず9月に実施する合宿の行き先が新規の場所なので、
本日は2名で踏査に行って参りました。埼玉県某所に。
 …2人とも県民で、
しかも一人はかなり住所地の近場だったりするのですが。

でもまぁ初めての場所であり。
http://clipsince08.dtiblog.com/blog-entry-209.html
でも述べたように、
いきなり新奇な場所に子ども達を連れていくのは非常に危険で不安なことが多いので。

 結果的にはやっぱり、行ってよかった、なのです。

合宿先に次いで、二日目の活動に想定していた場所に行ってきたのですが、
…別にその場所がどうこうではないのですが、
合宿で行くだけのモチベーションというか、
そこへ行くストーリーなり必然性なりが感じられない、というのが
実際に行ってみた2人の感想であり。

*結果的に、2人ともそういうことを意外に気にするタイプであると判明した次第。
 それ以外の点では、例えば行事ものの趣味とかは、結構違うのですけど。

結局、二日目のプログラムについてはペンディングとし、
今後更に!踏査に行くという展開になったのでした。

 大変ですね(笑)

行けば行ったで
「ここしばらく行っていた合宿先/プランは、結構よくできていた」
ということを、改めて確認できたりするのです。
なかなか当方の期待するものと綺麗にハマる展開って、ない。

 でもまぁ、そういうものなのかもしれませんねぇ。
新しいことをするには、やっぱり余分なエネルギーが必要です。
安全な運用が第一なのですが、
それ以外にも、やはり参加者の皆様に
「行く/参加するだけのもの」を残そうとすると、
なかなか妥協することが難しいものなのでした。


 更に先週は、今後実施するお泊まり会での利用に向けて、
東京タワーにも行ってきました。こっちは一人で。

…結構楽しいですね(笑)

お土産やの品揃えがまた、微妙な玩具好きの私の心の琴線に触れるのです。

合宿先1

合宿先2

東京タワー