年末

  • 2010/12/31(金) 23:01:27

 …年末ですね。

 2010年度は..
 当たり前ですけど前年度よりも忙しさが増し(笑)
 
 特に12月は..個人的に(諸般の事情で)”頑張ってしまった”ので..
特に終盤は..結構疲れを感じていました。

 そんな事情もあり(笑)今年の年賀状はやや..手を抜いています。
来年はまた、木版画に戻りますので。
(と断言できるのは..「12年前のがある」から、です)


 2010年度、仕事的には..
グループも増えたし小集団指導も増えた。
例年通り合宿も実施する一方でお泊まり会も何度か実施した。
(以前にお泊まり会が「それほど疲れない」的なことを書きましたけど、
 事務的な作業は結構嵩むし、実施前後に溜まる書類書きなどに
 追われるので..そういう意味ではやっぱり結構大変です(笑))

 関わるケースの総数は、意外に変化しないものですが(笑)
 総対応数自体は、明らかに増えてきて、いる。

 そんなこんなで、
次年度もいろいろと新しい対応をせねば、なりませんねぇ..
 まぁまだ事業として「ここで留まってよい」と言える段階では
全然!ないので.. このまま頑張りましょうかね。


 一方で..
まだまだ最高にキツい!
というほどの仕事をしているわけではないのですが、
自分の記憶力や体力、気力は..
やっぱり落ちつつあるのではないだろうか?
と感じることも多い一年だったのでした。

・とにかく読んだ本や観た映画を記憶できない(笑)
 ので..最悪の場合、買って読んだ本を読み終えて
 後書きを見たところで初めて!
 「この本読んだじゃん!」と気づいたり..
 15歳ー20歳くらいまでに読んだ本は、
 未だにその詳細まで記憶されているのに..
 そう考えると「15-20歳の時期に記憶するべき事柄」というもの、
 その選択が、人生にとってどれほど大事であろうか!ということも
 今更ながら実感できるのです。

・読書もそうなのですが、その他の領域でも..
 膨大に頭を使うようなもの、
 新しいジャンル等に”意欲的に”取り組むような作業を、
 精神の方が億劫がっている、と感じることが、増えました。
  SF等のジャンルって正に..
 読むのに相当に頭を使う作業なのですが、
 最近はそこから自然に遠ざかっている(気のする)自分が居ます。
 特に遠未来もの等、”現実に根ざしている”部分の少ないもの、
 ハードSFなど科学知識や高度な思考を要するもの..キツいです(笑)
 そういう思考も経た上で、
 「ヒトがある年代から読書傾向が変わっていく」という現象についても、
 頷けるところがあります。
 
・TVでも「新しい知識を求める」というよりは、
 まったりできるもの、心を揺さぶられないものや
 総じて「後に残らない」雑な内容のものを求める、
 最近の自分に気づきます。
 というわけで最近は..
 旅番組とか(笑)「○から日本をみてみよう」とか..は、まったり系。
 私の中で「後に残らない」番組の最たるものが、
 「帰れま○」なのですが(笑)
 …私が月曜休みなせいもあり、妙に毎回見ています..
 本当に「頭を使っているようで使わない!」後に何も残らない!番組です。
 (まぁうちのケース達は結構好きですけど)


・ある私の好きな漫画家さんが
 10代でホラー映画を見ていて、登場人物が追われると
 「走って逃げればいいじゃないか」
 と安易に思っていた辺りについて、
 10年以上後の今になって見直すと
 「…あんなに走れないなぁ..」(笑)
 と述べていました。

  当たり前ですが、体力って..やっぱり、大事です。
 体力がないのに気力など生じないわけですし。
 少し前まで元気溌剌としていた方が
「疲れる」「めんどくさい」を日常的に頻発するようになると..
ある意味”療育”のような心的エネルギーや体力、
忍耐力を要する行為自体、成立しなくなってしまう。


 来年は..
この辺りに個人的な課題意識を持とうかなと思いつつ..
とりあえず生活環境を若干、変更させる予定ではあります。 
 


 2010年度に読んだ本の中で、
特に気に入った/考えさせられたもの幾つか(順不同):
1)「時間封鎖」R.C.ウィルソン
2)「腰痛探検家」高野秀行
3)「ミーナの行進」小川洋子
4)「<子ども>のための哲学」永井均
5)「サブリミナル・マインド」/「サブリミナル・インパクト」下條信輔
6)「怪しいPTSD―偽りの記憶事件」矢幡 洋

 その他として精神科医、春日武彦さんの本を沢山読んだのも、今年でした。
…なんだかんだで新規の読書量は結構..あった、ようです。
2)は..「民間療法」というものの本質的な怪しさ/危うさを扱う内容で、
..療育も「おそらくは民間療法」という部分で、
個人的には、大いに考えさせられました。

映画:
1)「第9地区」
2)「告白」
3)「キック・アス」
 例によって「ヒトの親向きではない」ものが多いのですが..

 
 
 とりあえず、クリップを利用して下さっている方、
いろいろな形で活動を支援してくださる方、
まぁ利用はしていないのだけど興味は持って頂いていて(笑)
ブログなんかはそれなりに見ていらっしゃる方..

 皆様におかれましては、
 来年もどうか宜しく、お願い致します


 尚、ケースの方々の中で相当に不安な方も居るかもしれませんので
(*まぁこれまでの経緯を考えれば、無理からぬことです)
 ここで断言しておきますけど

 「来年は値上げしません」 ..はい。

年末

バランス / ハードル

  • 2010/12/21(火) 23:18:08

 お題は二つ。
今回はどちらもまぁ..
理屈の伴わない戯言、のレベルなのですが。


1)
最近バランスボードを使っていて思ったのですが..
 安定とは..意外に「動きのある状態」なのだなぁと(笑)

  ボードにおける「静止」は..
 基本的には思い切り傾いた/不自然状態でしか達成しない。
 ボードの上で安定を得ようとすると..
 ひとは中央付近で始終小刻みに(普通は左右に)動き、
 その細かな動きを継続的に繰り返さねばならない。

 …ある種の堅いひとたちは..
 そういった「安定」に要される、
 細かく不規則な、絶え間のない
 動きのある状態それ自体を!嫌うのでは?
 と、最近ふと思い当たったのでした。

  基本的に世間の平均なり常識なりを
 一貫して”逸脱”する印象のある、発達障害圏のひとは..
 意外と、自身がある状況に固定/静止していたいとの思いが
 強く(或いはそれが強すぎて)
 ”始終小刻みに揺れ動きながら周囲の状況を合わせる”
 といったような「普通」の在り方/継続的な小変化とでもいうべき状況に、
 付き合う/適応することを.. 感覚的に厭うのではないかな、と。
 
  いや私が多分..そうなんだろうなぁと(笑) 
 その本質には、これまでも述べてきた、
 ある種のひとたちの「少々異常なほど強い省エネ意識」
 の発露だったりするのかも、しれません。
  ある意味極めて強い安定志向の所有者である筈の私が、
 こんな生活(笑)をしているのは..
 普通であることや普通の生活に囲まれる状況下で
 その小刻みな..周囲の状況に合わせる”動き”を続けることを..
 どこかで嫌ったせいなのかもしれない、と思ったり。

  よくよく考えると、少々電車好きだったり(笑)
 そんなケはありつつも、ほぼ適応的な気質/性向/嗜好を持つが故、
 障害ともされず問題化もせず、
 そのまま、ある種異常なほどパターン化した生活を送りつつ、
 そんな人生を生き抜くという、
 要するに「偏った状態のまま静止し続ける」人生を選び取るような、
 そういうひとの在り方というものも、
 これまでも数多く、その辺に多数在ったのかも、しれない..
 

 療育は基本的に「ひとに中庸を求める作業」だと、私は思っています。
ひとを有能にする発想/方法論についてはとりあえず認めるとしても、
「子どもを天才にする」といった発想を筆頭に、
そのひとのアノマリー(歪み/偏り)を意図的に強めるような関わりは、
少なくとも私の考える療育の主題ではありません。
(*…まぁ、仕事を別にすれば
 その種のアノマリーを刺激/強化する関わりが、
 超楽しそうであることまで、私は否定しませんけど)

 ただそうして求めるべき「中庸」という在り方自体が、
常に何らかの、「それを維持するためのアクション」を要する作業:
ちょうど良いポジションに留まる!のではなく、
ある一定の範囲内を常に細かく揺れ動き、
その「小変化を基本状態とする」
バランスのとり方というもの、なのかもしれない。
 そうすると..
これはこれで存外特有の才能を要する作業なのかもしれないなぁ、
などと、最近思うのです。

 ちなみに私は静止状態での姿勢の維持が得意です(笑)
 衝動の(出鼻での)抑制機能が強い、というのもあるのでしょうけど。
…正座は足が痺れるのでキツイのですが
(*実に”普通のひと”反応なので、書いていて心苦しさすら覚える..)、
それ以外の”ある程度自然な姿勢”で一旦静止すると、
かなりの長時間に渡り、身じろぎ一つせずその状態を維持できます。
そのため、
電車内などで貧乏揺すりやら始終姿勢を変えるひとの、
気持ちや感覚がいまひとつ理解できない。

…まぁ姿勢って..
(寝相等もそうですけど)基本的には静止状態を維持し過ぎると
腰痛や筋肉痛、血流の悪化/凝りなどを強めるらしいですけどね(笑)

2)
 最近読んだ本で引っかかった/気になった言葉:

「それが問題なんですか? 
 たくさんのデータがあるのはむしろいいことなのでは?」
「-データがたくさんあるということは、ハードルがとても高くなるわけ」
 (グレッグ.イーガン.2007「スティーブ・フィーバー」p282)

*「現代最高のSF作家の一人」とされるイーガン、
 相変わらず凄い切れ味。
 「こんな妙な話、聞いたこともない!」といった表題作なのですが。
 私は別に凄く好き!というわけではないのですが、
 彼の有する哲学的センスには、常に感銘を受けます


 ”データが沢山あるのはよいことだ”というのが、
 無論それまでの、私の観点。
 だって単純にデータが多ければ、
 分析→反応の”精度が上がる”わけじゃんよ、と。

 だけど..確かにイーガンの仰る通り。

  データが増えることによって、
 「求められる反応/分析精度の水準自体が!上がってしまう」
  のですよねぇ..

  関わる期間の長い/会う頻度の高い/家族やその他に関する情報量の多い/
 ケースに対し、当方として求められるべき反応/仕事の水準が
 …自然に上がっていっている(筈である)ということを..
 またそのデータを受け入れた側としても、
 それと気づかぬままに自分に課した反応の水準を高めていることも..

  翻ってケースの側からすれば..
 相談者に向けて自分の側のデータを数多く出せば出すほど、
 自然に相手に対し、高い精度の分析や反応を期待していくように、なる。
 (*実際にこういった視点を元に、改めて考えてみると..
 「相手の反応のハードルを上げないよう」配慮するという目的で、
  自身からのデータ表示量を調節する、
  といったような他者との関わり方も..
  ”大人”というものは結構、
  日常的にこなしていたりするもの、なのですよねぇ..)

  データがハードルを上げる..
 結構その通りなのかもしれないなぁ、と思ったりするのです。

  一方で、そんなことに一向に気がつかないまま、
 知り合った当時のノリそのままに、
 ケース/保護者の方を相手にのんべんだらりと
 仕事をしていたりする(*時もある).. 私とは一体(笑) 

 
 実際に仕事をしていても、
ケース側から一時に提示されるデータが多すぎて、
整理や反応すべき領域/優先順位の選定等に
戸惑いを感じるようなことも..確かに偶にはあるのでした。
まぁ長年こなしてきた領域となれば、
それなりにデータの選定/取捨選択に際し、
センスというものが働く部分も、あるのはあるのだけど。

 とにかく、上記文章を目にしてからというもの、
単純にデータの(質量ともに)充実というものを測れば、
それが即総体としての仕事内容の充実に繋がるわけではない?
受領するデータの量と、それに応じる仕事の水準との「適切な関係」とは?
といったことについて..考えたりしています。

 データの取り方、及びその扱い方というものも..
存外そのまま、仕事の姿勢/在り方 なのかもしれませんね。

 …まぁ、仕事である以上
 「ハードルが低いほどよい
 とは、言えないですけどね。
 「ハードルが低いほど燃える!
 と断言するひとも..見かけたことはないし(笑) 
 
 …言ってみたい気もするけど。

バランスボード
ハードル

お泊まり会?

  • 2010/12/12(日) 23:32:50

 クリップとしては計で5回目となるお泊まり会を、
本日無事終了しました。

 対応側も充実していたこともあり、
実になんというか、全体的に平和でした。

 …平和が一番ですねぇ、本当に。


 今回は..
誰かのお誕生日にも関わらず..
それはそれとして、あくまで仕事が第一なのです
(正確には、仕事が第一な「時もある」)。
 まぁ活動のついでにケーキも食べられたし
(自腹で、しかも他者の分も買って)、
 子どもたちにも祝って頂きましたし、
それでよかったとしましょう。
 当のお祝いの座も、なんというか
(誕生日とほぼ無関係に)異常な盛り上がりでした。


 二日目の活動として、
今回のお泊まり会では「参加児のお宅訪問」を実施。

「どこか(博物館とか)に行く」といった、
これまでの活動とは異なるタイプのものなので、
実施してどうなるものかと思いきや、
参加児たちは概ねその行程を、
かなり楽しんでいたようです。

 細かな移動が増える分、
切符の購入や経路の確認、地図読みなど、
課題となる部分も多い設定であると確認されました
(行き先の順序や実際に選択する/使用する経路については、
 「今回については」
 当方で事前に検討の末、子どもたちに提示しています)

*今回のお泊まり会におけるメインテーマは
 「路上/公共場面での振る舞いの指導」でした


 「ケースの家に行く」というのは..
なかなか新鮮な体験ですね。
いや家に着いて即座に次の家に移るだけで、
別に中に入ったりはないのですけど。

 私自身は、それなりに..
「知ることの可能なことは知る」
「調べられる事は調べる」主義であり、
ケースの住所地が判明すれば、
その段階からグーグルマップなどを用いて
当方までの距離/経路等の位置関係、
道路等の配置/安全性、近隣の目立つ建物..
総じて”ケースを取り巻く全体的な雰囲気”
などを一通り調べたりするのですが、
(かつての初回相談で、
 ウェブサイト等から知れる私の氏名その他の情報からnet検索をかけ、
 幾つかの情報を事前に把握してから来所したケースがありました。
 私はそれをお聞きして
 「…このケースとは気が合うだろうなぁ」と思ったものでした。
 実際そうだった。)
やっぱりその道、
ケースが日々歩くであろう街並みや道を自分で実際に歩くことで、
それで分かる/知れるという部分も、多々あるものですね。

 前の職場で仕事しているときには、一度だけ!
心理というよりは福祉的な事情から、お宅訪問をしたのですが。
…詳細は書けませんが、それも実に貴重な経験でした(笑)

 現状でも、相談の必要上から、
「家でのケースの行動」を把握/概観するために、
家で過ごす際のお写真を見せて頂いたりして、
それでご家庭の雰囲気を知る事ができたり。
 これもなかなか楽しい/業務上有益な 活動だったりするのです。

 対応開始の初期段階で
「家族一緒に映った写真」を見せて頂くのも、
上記に近い動きといえます。
 相談場面でケース本人/保護者(主としてお母さんですが)
の顔を見るのと同様、その他の家族の「顔」が分かっていることも、
ひとと関わるこの仕事では結構大事なことだと、今は思っています。


 というわけで。

 結論として「お泊まり会として、このパターンもあり」
だと思いました。
 今後も状況が整う限りは、実施していきたいと思います。
(この活動の場合「一度行った家には行く意味がない」のですけどね..)

 一応.. 
冬、特に2-3月は(花粉が飛ぶし、寒さ等環境のストレスが強いので)
お泊まり会のような特殊な活動は、控える予定です。
なので今年度分は、おそらくは、終了。


 次年度は..当方で対応するケースの年齢も徐々にあがってきて、
この枠に参加可能/参加させて反応を見たいと
当方や保護者として考えるケースも、
更に増えていくことが想定されます。

*一応私の中では
 ?一定年齢/能力(*知能よりスキル重視)以上であること、
 ?クリップ利用開始以後、一定の時間が経過していること
 の2点を条件に参加者を検討しつつ、お声をおかけしています

 また参加ケースの方も、その組み合わせによって
各活動の実施内容や目的が様々に変わりうるため、
年度中複数回参加を検討/希望するケースも、
今後更に増えていく公算が強く..

 次年度には今年度(計4回)以上の実施を..
おそらくは検討せねばなりません。ねぇ。

 まぁ基本的に非常に楽しく、
なおかつ業務上極めて有益な活動であり、
利用側としてもコストパフォーマンスの比較的高い(*多分)
活動と思っておりますので、
今後とも気負わず、無理をしない程度に実施していこうと思っています。


 あー真面目な話、子どもと長い時間接することで、
ケース個人への感情というものも、
必然的に強く、深くなっていくものですねぇ。
といったことを、「今回の活動を通じて」なんとなく実感しました。

 その際には..
そうして可愛い子は更に可愛く..
そうでない子は更にそうでない感じに..

 ですかね(笑)

いつものピッチカー
就寝
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