年末

  • 2011/12/31(土) 23:13:21

 2011年も、お終いですねぇ。

今年は..
仕事的には3月の大震災を受け、
流石に少々ゴタついた経緯はあるものの、
それ以外は(当時に述べたように)
事業として基本的には大きな変化を求めず、
できる仕事をきっちりとやりましょうという一年にしてきた、つもりです。

 そんなこんなで4月に(運営上の)年度が変わり、
以後のケース数や収支にそれなりの変化が想定されていたものの、
…年間通しで見ると、そんなに変化は生じていない(笑)
年末に向けて、なんとなく全体の帳尻が合ってくる..
 そういうのは、
「開始4年を経た事業」として..
いいことなのでしょうかねぇ? とか思いつつ。
 先日もシライと
「お金儲けがしたいんなら、
 お互いこんな仕事やるわけねーじゃん、ねぇ」
という意見について(珍しく)両者の間で一致を見たのですが。

 まぁ内でも外でも、
考えてみればいろいろあったといえば、あったし、
今後にしてももあるといえばあるのですが(笑)
 今年度、特に4月以降は、
クリップ及び自身として、行うべき職務についての意識は、
それ以前よりも全体に先鋭化したというか..
「こういうケースを見たい」/「こういう仕事をしたい」
という意識というものは、個人としてもクリップとしても、
以前よりも明確になってきていると思っています。

 これに同調する形で..
余所様とは異なる、クリップとしての
(現状での)立ち位置や仕事というものも、
ここにきてある程度はっきりしてきたのかなと、
これを書く今にして思ったりします。
それもまぁ、
運営とか経営を考えれば「善し悪し」なのですが..


 仕事関係のお勉強領域においては、
今年はいろいろとまぁ..
○○○○(←怖くて書けない)
の経験を実地に積む機会は多く、勢い関連する書籍を、
これまで以上の規模で読み漁ったり..
やはり「必要は発明の母」でいいのかな?
学びたい/学ぶ必要を感じたときに学ぶ以上に
効率のよい学びはない、ですね。

 4月から職員を追加したのも、
勿論クリップとして大きな変化ではありました。
私自身が一人の気ままさに慣れ過ぎていたこともあり、
それに慣れるまでに意外と時間がかかりましたが..
 まぁ余所様の話を伺っても、勿論私自身の認識としても、
「人を増やす」ということには、
チャンスも大きいけど
それ以上にリスクの方を!予め多くのパターンで
予測しておかなければならないことのようで。
(私も職務上・人間上(笑)多々問題あるわけですが、
 それは自分も利用側でも、概ね予測できるだろうからまあいいや、
 という感じに処理しています)
 で、その辺りについては、
ウチとしては問題なくその1年目をクリアしたと思っています。


 総合的には、(今年度も)大きな事故もなく怪我もなく、
それでいいかぁ、という感じで今年を終えることができて何より、
なのでした。

 
 一方で個人的には..
諸般の事情から年度の前半も後半も、
「迷うことなくこれまでの人生の中で、最悪」
という一年を迎える羽目になってしまいました。
勿論それは、この国自体(特に東側)だって、
そうでしょうよという一年ではあったのですが。

 まぁその「最悪」については..
それでも、どんなことがあっても、
ひとは生きれる限りは生きていくしかないのだよなぁ、と思っています。

 とりあえずそういった、
精神的に最悪に近い事情が継続する中でも、
自分は(仕事でもそれ以外の時間にでも)結構..
笑ったり、楽しいことを見出したりできる類のヒトであるのだな、と..
 自分がそういう類の人間であるであろうということは、
これまでもある程度予想していたことではあったのですが。
それはそれで、その冷静さとか反応の冷たさとか、
総じて感情の無さとか? に直面すると..
自分でもそれにややうんざりしているような側面も、あったりするのです。


 その他、引っ越しをして、生活事情が大きく変わったのも
同じ2011年のことなのでした
(最近いろいろありすぎて忘れていた)。

 とりあえず自由になる時間が大幅に増えたので、
6月からは(クリップ開始時よりずっと切望していた)
ジム通いを始めました。
それに並行して家でも運動をして、
秋ごろからは更に一日の食事の摂取量/パターンを変更して..
 おそらくはそれらの複合的な効果により、
個人的には理想的!と言ってよい水準の
体重と体脂肪率/基礎代謝を手に入れ、
(現状では)どうにかこれを安定させることにも、成功しています。

 昨年末のブログでは(*それまでも毎年)
とにかく年ごとの「体力の衰え」に関する描写が目立っていたのですが(笑)
単純に身体が軽くなったというだけでもなく、
筋量も増えているし、現状では多分..
全体にほぼ10年前の水準の体力を取り戻したような感覚を得ています。

 あー頭の中身以外は(笑)
仕事上では9月の合宿直前に人生最大規模のミスをしたしなぁ..
(これについては私の人徳とは無関係に、事なきを得た)

 基本的に「運動神経の宜しくないヒト」としての人生を
長いこと送ってきた私が、
「運動をすることの肯定的な側面」というものを、
この半年間で多々見出すことができたことは、
実に興味深いことであり..
 
 これまで仕事やその他の場面においても、
多くの物事を頭や論理の水準で理解し、処理してきた物事を..
「身体のレベルで」
考えたり処理したり出来る部分が、明らかに増えていたり、
これまで概ね苦手としていた運動関係の課題設定についても、
自分なりにこれに興味を感じたり取り組む場面が増えてきたり..
 それらの感覚なり価値観の変化は、
おそらくはクリップの職務にも良い影響を与えるものであると思われ、
そういう意味ではジム通いにかかる費用も、
安いものだと言えなくもないのです。
(実際結構安価に抑えてもいるのだけど)

 ジム通い及びその他運動量については..
開始した6月から夏にかけては、
なんかもぉ異常なくらい気合を入れていて(笑)
(仕事も含め)生活の最優先事項がジム!筋トレ!という時期もあったりで。
一時は殆ど本気で
筋肉の量と個人の幸福の量は正比例するのでは?
とか検討していた時期すらあったのですが..
(↑今にして、その思考が明らかに異常と分かる)


 私の常で、何か新たな物事を為すときには
当初にできるだけ気合を入れて、
少々無理くらいな難度/ペースから開始して、
ある程度時期を経たら自分に合ったペースなり水準に落としていく..
ということは多々ありまして。
 その発想の根底には、
「(とりあえず)自分はグータラだし、
 枠組みを緩めるとすぐにそれに適応してしまうので、
 課題難度を徐々に上げつつこれを発展/安定させることが困難なため、
 最初にかなりきつめの設定にして、
 ここからどうしても維持/継続が無理な部分の水準を落とし
 これに修正していく」
というような思考なり、理解というものが働いているようです。

 …お陰で6月末には見事に一度、潰れました(笑)
その他トレーニングのし過ぎで肩を痛めたりも、少々。

 今はどうにかその辺りの無駄な力みも抜け、
現状の身体状況を維持するに必要な程度の運動量を把握して、
それを(以前に比してそれなりに優先度を下げつつ)行っています。

 そして実際、運動量がピークであった8月辺りに実施していた
課題(ウェイトとか回数とか)水準を、
一旦緩めた今、改めて実施してみると
物凄くキツイ!し、できねーよ/できるわけねーじゃんよ!と思う。

 私の観点で述べれば、ヒトは(*まぁとりあえず自分は)
それだけ容易に、早期に「楽な課題に順応」してしまう。
(*そしておそらく、ヒトの正直さというものが
 素のままの状態で放置されている発達障害状況は、
 そのヒトの傾向を強烈に助長する)
そうであるが故に私は、指導場面における課題設定は基本、
「最終的に到達する日常レベルの適応水準よりも
 やや高めに設定しておけば丁度良い」という風に思っています。
そしてその思考は、クリップでの課題設定にも、
かなりの影響を及ぼしていると思うのです。

 そしてまた適度な運動というものは、どうやら、
…ある程度ヒトを陽気にしたり楽観的にしたりはするようでありまして。
その種の変化というものも、
6月以降の自分の中に感じることはできているのです。
(その表れについては、利用者からすると(私の)
 「服に若干..色の種類や柄物が増えた」
 というように映っているらしい)


 上記述べてきた「運動」については、
今後もブログで触れることはあるかと思います。
 

 
 読んだ本で印象に残ったもの幾つか:

 崘召里覆の幽霊」V.S.ラマチャンドラン他著.角川文庫
 親本は1999年刊行ですが..
 もっともっと早くに!読んでおくべきだった!本でした。
 仕事的に直接どうこうでもないのですが、
 私が学部や院で学んできたことと内容的にかなりリンクするものだし、
 現在の仕事における関心事や、臨床心理学の領域においても、
 読者に対し大量の興味深い知見を突き付けてくるものであり..
 まぁこれが今年のベスト扱いとなると思います。

◆嵎慎い任Δ修鬚弔人たち 虚偽と邪悪の心理学」
 M.スコット.ペック著.草思社文庫
 親本は結構前に売れ線だった気がしますが..
 私には今読んで、丁度いい感じでした。
 学生のころにや臨床の仕事をするより前に
 読んでも響かないだろうな、という感じで。
  基本的には著者の述べる「邪悪なひと」というのは
 ××××なのでは?という気もするし、
 それは「邪悪」というのとは少し違うのでは?という気もする。
 (この辺りは著者の宗教観とかも関係はあると思う)
 また発達障害に関する理解などは「古い!」のですが、
 そもそも元本は80年代半ば刊行なので..
 そう考えれば充分に割り引いて済む話であり。
  個人的には本国では大変著名で
 「立派なお医者様」なのであろう著者が、
 やたらにケースについて愚痴ったり
 その行動や反応にいちいちウンザリしたり..
  そういう描写が、好きです(笑)
 ひとが外に出す”事例”って..
 特にそれが本に書かれたものであれば、
 それはそこそこ上手くいった事例であり、
 そうなるとそこはかとなく「自慢話」にもなりがちであり..
 私はそういった内容のものよりも、
 経験豊富な方の失敗談や愚痴を読む/聞くことを好みます。
 成功話よりも、失敗をフォローする経緯を聞いたほうが、
 よっぽど意味があると思うので。
 それに臨床家であれば誰しも、多くの
 仕事に関わる不満や愚痴の種を抱えているものであろうし、
 余所様のその種のお話を伺えるのは、純粋に楽しいし(笑)

「機会不平等」斎藤貴男著.文春文庫
 昨年から今年前半にかけての..
 個人的な貧困/格差問題への関心と問題意識に関連した
 お勉強を総括するような内容で、このような先見性に富んだ
 (まぁ..ある程度著者としての視点の偏りは感じられるけど)
 内容の本が2000年代の早い時期に出ていたことには、
 感心させられました。

その他、もう少し軽い内容のものとして

ぁ嵌深匆餝惺嶌臓廛僖ロ・マッツァリアーノ著.ちくま文庫 
  及びその続編

ァUSAカニバケツ」町山智浩著.ちくま文庫
Α屮ャプテン・アメリカはなぜ死んだか」町山智浩著.文春文庫

 なども、示唆に富む内容が多く、よかったです。


 映画:
 
ブログで採り上げた

「英国王のスピーチ」
「海洋天童」
「ちいさな哲学者たち」

などは全てよかった、です。一番は英国王の..かな。

「ファンタスティック・Mr.フォックス」
は別枠で最高!でした。
DVDでメイキングを観ると、作り手(*人形アニメなのですが)
の情熱や技術と..その根気に、涙が出ます。オタクは偉大です。

 ちなみに今年最後に観た映画は
「リアル・スティール」でした。

去るウサギ

10回目の

  • 2011/12/18(日) 23:18:56

 今回で通算10回目!
の実施となったお泊まり会が、無事終了しました。

 12月は..
まぁ2008年からこっち、毎年実施しているのですが、
当たり前ですが、寒い。 
夜は寒いよなぁやっぱり。

 お泊まり会についての私の考えについては、
漏れなくその活動直後にブログを更新しているので、
その辺りをご参照頂ければいいかと思うのですが。


 やっぱり面白い、今回も。いつもながらに。

 児の本質を見抜こうとするなら、
合宿よりもお泊まり会の方が
活動として優れているのでは?
との最近の実感を、今回も新たにしました。
 純粋に発達的な特性に限れば、検査や指導等の過程で
かなりの部分を把握できるものだと思うのですが、
(つまりその辺りに限れば、
 平素の活動とお泊まり会で見られるものとでそう大差はない)

 お泊まり会の方が..
児の価値観や心理的な特性などの領域については..
圧倒的に分かることが、多いのです。

 今回も比較的付き合いの長いケースに対して..
今までに見出することができなかった心理的特性を
新規に見つけることができたり
(勿論当該児が発達した結果だとも考えられるけど)、
児の特性を以前とは異なる新たな視点から認識できるようになったり..
そういったことも含め、実に心理の立場として、
仕事としての充実度が、高い。


 まぁ..
やっぱり疲れますけどね。
前後にいろいろ余分に仕事しなきゃいけないし
(特に活動直後のお休みはほぼ無条件に事後処理に費やされる)。
睡眠時間も、どうしたって実施前後で物凄い不足するし。

 活動を終えても、
膨大な量の画像(*複数のデジカメで撮影されたもの)
を時系列に並べかえて整理し、アップロードする作業とか..
これは(合宿でも同様の手続きが生じるのですが)、
作業としてはとんでもなく時間がかかるものなのです。
私もまぁ凝り症なので..
その辺の時系列の整合性を図るのに無駄に時間を費やしたり
(まぁそうやって画像をひとつひとつ見直すことで、
 思いだされたり新たに考え込んだりするといった、
 有意味な部分も多々あるのですが)


 今回は二日目に、
科学技術館

 http://www.jsf.or.jp/

に行きました。
私は諸般の事情で、この建物については
平均で年に2回くらいは訪れるのですが、
館内展示をきちんと見てまわるのは10数年ぶりで。
(じゃぁ何しに行くんだよって話なのですが)

 過去に活動で訪れた科学未来館よりも..
体験型で没入度の高いの展示が多く、
子どもとだったら(私個人としても)
余程こちらの方が楽しめる場所になる、思います。
私もプレイヴェートで行って、
時間を気にせず見て回りたいとしみじみ思った..
(今回は時間の関係で、
 結局最上階の展示を見ることができなかった)


 ここで今回考え込んだことは..
(そうして以前に科学未来館に行った際にも
 似たようなことを感じたのを思い出したのですが)

 自分の意志や志向を強く備えている/
自分のやりたいことや興味の対象に向けて
そのまま真っ直ぐに行動できる個性と、
そうでない個性とでは..

 特にこのような場所、
明確な行動の枠組みを設定されていない状況で
なおかつひたすら個人の知的な興味に応じて、動ける場所では..
こうも歴然と、その動き方が違ってくるのであるなぁ!

 という観測に対する、純粋な驚きであって。

 そもそもその種の動きの違いをひとにもたらす、
意思なり志向なり、その強度の差は、
ひとのどこから生じるのか? といった問いかけでした。

 それはまた、
ひとが物事に対し意欲的/能動的であることと、
受動的であることの違い、
なのかもしれないのですが。

 ひとはどのようにして..
概して意欲的/能動的なひとと、
受動的なひとに、別れていくのか?

 そのような事柄について、
実際にその場でケースたちの様々な動きを見ながら、
自分の中で検討を重ねていくことは..

 個人的には実に、楽しい体験なのでした。

 まぁ上記の問いに対する明確な答えについては、
まだ自分の中でも得られていないのですが、
幾つかそのヒントとなるような要素は、見出せたと思います。
(まぁ中でも先鋒扱いとなるであろう要素は、
 提示される状況に対する個人の知性/
 処理能力や知識量 ではあろうな、とは思います)


 私自身については..
特にこと知的な事柄を扱う領域においては 
自分はそれなりに積極的で、
能動的な人間なほうだとこれまで認識していたのですが..

 つい最近自分の身の回りで起きた、
いろいろな事柄や、それに関連してひととの生じた会話から..

 自分って実は、結構上記以外の側面の多くにおいては..
少なからずというか、むしろかなり!
生来受動的な人間なのかもしれない、と思ったり。

 丁度そんなことを考え込んでいた時期、
だったのかもしれません。


 お泊まり会、2011年度はこれでおしまい!
次回は次年度の..5-6月くらいに実施する予定です。

 その面白さと仕事上の有益性が、
ここまで常に実感できている以上、今後とも..

…まぁ実施側としては、営業的には..
結構割に合わない類の仕事であることは承知しつつも、

今後ともいろいろな児を、
じわじわとこの場面に放り込んで、
その動きを眺めていければと思っています。

kinectデビュー

竹橋付近

科学技術館

腑に落ちたこと二題

  • 2011/12/14(水) 23:41:38

 仕事中に唐突に腑に落ちたこと:

 )織哀襦璽廚如△箸△襯棔璽疋押璽爐梁仗誉(1vs1)
 をしていて、実施者以外がそれを眺めているとき..
 自分が実施しているときにはそれなりに集中できるのに、
 他児たちが実施しているとまるっきり興味を示さない(示せない)
 児が、居る。

 そのとき、唐突に腑に落ちたのでした。
 
 当該児は、他者の行為や体験を目にしても、
 それを「自身に関連する事柄」として処理し、理解して、
 受け容れることができない。
 故に他者の実施しているゲームが、
 例え自分が先ほど自分がしていた/これからするゲームであっても、
 それを見ることに、何ら意味を見出すことができない。
 そして児は、これまでの人生の多くの場面でそうして..
 他者の行為を自分にフィードバックさせることなく、
 生きてきちゃっていたのだよなぁ。

 要するに「他者の経験を、自分の経験として取りこむ」
 という作業が、できない。

  翻ればこれは発達障害者から見た(いつもながらの)
 「定型発達者の凄まじさ」であり。

  彼らは、それが自分が実際に行った行為でなくとも、
 他者の行為を目にすることで、自分の経験と関連付けて、
 自分の知識や技術体系に組む込むことが、できる。
 いや、実際にその場に居て目にすることがなくとも、
 本を読んだり、他者からの経験談を聞くだけでも!
 そこから得られた情報を何らかの形で自分と関連付け、
 自身の経験にフィードバックさせてしまう。

 それが標準的にできない個人と、できる/してきた 個人とでは..
 両者が同じだけの期間生きていたとしても、
 絶対的な経験量について物凄い差が..
 生じてしまうのだよなぁと考え、茫然としてしまったのでした。
 それは対人コミュニケーション領域では当然として、
 時にはスポーツや勉学のような異なる領域でも
 容易に生じかねない「経験の差」なのであるのでしょう。

  そんな思考が、その際唐突に生じ、腑に落ちた、のでした
 (勿論私なりに、そういった事柄について
 考えたり思いを馳せたりした機会は
 これまで幾度もあったと思うのですが、
 それを知る/理解する、という領域を超えて、
 様々な実体験を経てより直感的に..解った
 というような感覚です)

 …不利だよなぁ。

 故にこそ、今すぐに当該児に言っても
 すぐに状況が変わるとは思わないまでも、
 私なりに
 「他者の行為を自分のそれと関連付けることの大事さ」
 「他者を見ることができる機会にそれを見ないことの、勿体なさ」
 「他者の動きや戦略を見て、それを自分に取りこむことの意義」
 を教えようとするのでした。

 とりあえず私なので、「そうしないとゲームに勝てない」
 とか、直近の利益に結び付けて教えるわけですが。


◆´,箸倭漢殻鬼愀犬覆里世韻鼻↓,汎韻呼の思考

 とある書物を読んでいて。
 祖国に対するテロリズムを働くに至った
 若者の経緯が示されていて、その中で
 「テロリストを作るのは、
 実は政治的イデオロギーでもなければ宗教でもない。
 孤独や疎外感なのだ」

 (町山智浩.2008「キャプテン・アメリカはなぜ死んだか」
  *尚上記引用文は筆者による研究者の引用)

 これが唐突に腑に落ちた、のでした。

 そうなんだよなぁきっと。
 (全部が全部そうだと言いきることは流石にできないけど)
 破壊的カルトへの参加もテロリズムも殺人も..
 その種の致命的な逸脱というものは、
 国家や政治体制や、その他大きなシステムへの「公的な怒り」
 が先に立つ/発端としている のではなく
 そこに至る過程のどこかで..
 当該人物の孤独さと周囲との断絶/コミュニケーション不全
 の問題が大きく関わっていて..
 そしてそれは状況の遠因なのでなく、
 実は「それ自体が直接の原因」なのではないだろうか?

  また別の時期、別の書物を読んでいて:

 「調査によれば、
 兵士(一兵卒)が戦場で勇敢に振る舞うときの多くは、
 上位者がそう期待しているように、当人が国家や軍隊、
 政治的信条のような”大きなシステム”のためにそうしているのではなく、
 実際には自分が属する小隊のような小さなコミュニティや、
 家族などの自分にとっての”身近なひと”のため
 にそうしていることが多い」(出典は忘れました)

 といった文言を見かけ、これがそのときの自分の中で腑に落ちて。

 この知見はおそらく、
 上記のテロリスト論と意味的に対応するものなのでしょうね。

 とりあえず国家とか政党とか、主義とか組織(企業とか)とか..
 そういった大きなシステムは、
 真に、個人の動機なり帰属心を引き出すに値するものなのでしょうかね?
  それぞれのシステムの上位者はそう信じたいのだろうし、
 まぁ当人が..そういう超個人(個人を超えた、大きな)的システムに
 帰属していると思えて、それで安らぎを見出すような在り方も、
 なくはないようにも思えるのだけど..

  私には、しかしそれを額面通り信じることが、できない。
 「そう思っている」と言えるひとだって、
 実際にはそのシステム中のもっと小さくて身近な..
 自分の手の届く範囲でのコミュニティの中で、
 自分が有効に機能/対処できる、
 そういった状況に帰属しているだけなのでは? 
 とか。

  まぁこういった思考をとるのは、
 私自身が、これまでありとあらゆる組織に対して、
 それに究極的には自分以上の..
 何らの価値を見出すことができなかった という経緯も
 少なからず影響を与えている気もするのですけどね。
 (それは私自身が、
 「大きな枠組みでものを見て考えることができない」
 だけでは?と言うことも、できる..)


  とりあえず個人が..
 その個人の周りの、小さくても安らげる居場所というものから、
 日常的なコミュニティから、
 様々な事情から断絶され、
 ひととしての正常なコミュニケーションを
 質量ともに阻害されてしまったら..
 そのときに、特にある種の資質を備えた人は..
 世間的な価値に背を向け、
 常識的に誤った方向へ舵を切り易くなる/切らざるをえなくなる
 そんな気がします。

 で..
 発達障害という状況はー。
 (ここにきて,力辰睫鬼愀犬任覆い茲覆 
 という気もしてきたのだけど..)
 多分その種の孤独やコミュニケーション不全状況に
 至り易い個人の状態、でもあるのだろうなぁと思って。

 少々憂鬱になるのでした。


  やっぱり孤独は..いかんのだよね。

 私は、発達障害者の..
 特に青年期以降の人生における最大の課題は
 「孤独」であると常々思っているのですけれども。

 家族も地域コミュニティも、
 どんな事情があったとしても、
 そこに属する個人から、
 容易に手を離してはいけないんだよね、きっと。

腑分け