その先にあるもの

  • 2012/02/28(火) 00:22:44

…じわじわと更新ペースの下がっている、本ブログ。
今月は(ここしばらくは自分に3回の更新を義務化していたのだけど)
2回の更新で終わりそうなのです。
 やっぱり近頃のプライヴェートのあれやこれやで
「ブログのための」まとまった思考をする余地なり余裕が若干..
低下しているのかもしれません。

 個人的には「ブログも仕事のうち」と本気で思っているので、
月3回の更新ペースについては当面維持していきたいです。
(まー買った教材とかで「更新のための更新」で、
 お茶を濁す程度のことはできるのですけどね、はい)

 
「自閉傾向を有する児が普通級に入る場合、
 当該児の知能水準が、通常を一定量上回る(*一回りかそれ以上)
 程度でないと、”通常枠での適応”は難しい」

というようなストーリーを..
前の職場時代のどこかで、耳にしたことがあります
(出典は忘れたけど、なんとなくお医者さんの言い方だなぁと思う)。

 私の感覚では、結構同意できるのです。
自閉傾向自体が価値観の「ズレ」なので、
そのズレは概ね、
学力としては「能力の低さ」或いは適応の低さとして顕在化する。
そのズレの分を補い得るだけの知的能力
(その代表としての、IQ..
 まぁIQは知能そのものではないけど、その指標程度には機能する)
を持っていないと、学校という状況での適応は難しい。

 そんな発想もあり、
私は適応における知能という要素を
一般に軽く見ない傾向があります。
(話しているとシライ先生は概ね一貫して
 結構「そうではない」という立場。
 実際彼は私に比べ、遥かに対象児の知能を気にしない)
 
「知能が高くても適応は全然低い!」

という事例が多々あることから、

「適応と知能とは直接関係ない」

と言い切る観点も、まぁ私にも分かるのだけど、
 でも知能が暗示するような論理性とか
(*○○したら怒られる/損だ!等の学習はその分早く成立する)
処理能力(処理の早さ)などの
知的側面における「能力の高さ」については、
それを正しく活かす術を
大人の側で意識して与えることさえできれば!
 その高い能力に更に指導と適応の方法論が加えれば、
それはそれで良いことじゃん、というのが私の立場。

 いずれにせよ当該児の
「自閉度」(私の言葉。自閉傾向の”強さ”)
と「知能」という二つの軸で見ることで..
ある程度、児の適応なり”最終到達地点”を
見立てることはできると、私は思っています。
(Ex:自閉度が高くなく、知能が高ければ、
 概して適応における予後は良好..となる。
 実際にはその他の様々な要素が関与するので、
 「その限りではない」こともすんごく沢山、あるけど)

 一方で
「知能が高い/低くない けど、適応がとんでもなく悪い」
という事例の話というのは..
それなりにこの「発達障害」というものに関わる問題の
ある側面を照らものと言えると思います。

 ここでいう
「知能高いけど適応悪い」事例は
基本的には例外なく、
「その自閉度に対応する適切な指導を受けていない
事例の話であるわけで。それどころかその大部分は
「発達障害であること自体、
 本人は元より保護者も周囲も把握しきれていない」
事例なのであろうし。
 で、そうなってしまう=適切な指導を受けなかった
事情自体が..むしろその児の「知能が高い」こと、
あるいは「自閉度が強くない」ことにより、
結果的にその適応の問題や
その芽となる要素が見逃され続けてきたこと、
と言えるのかなと。

 むしろ知能なり発達
(多くは「言葉の発達」で見出される)の領域で
早期から問題化されてきた事例の方が、
その分適切な対応を受ける機会を
早い時期から多く得ることができ、
最終的に充分な適応技能を身につけることも、
あるかもしれないわけで。

 極論ではあるけれど、
「高知能だけど一生引きこもり」という在り方と、
「知能は低くとも仕事なり家事なり、社会に居場所を得て、
 遣り甲斐を見出して日々を楽しく送る」在り方と..
それらを比べるときには、まぁ
「知能なんざ、適応や幸福に際してはさして重要ではない」
という立場も、大いに意味をもってくるのだと、
私も思っています。

*一方で..
 最近某所で口にすることで自分なりに実感したのですが、
 今の私が心底気に食わないことは、
「自閉症だから」「発達障害だから」「知能が低いから」
 そういうラベルが貼られたからといって、その児の能力や
 ポテンシャル、当人自身の伸びる意思を軽く/低く見積もって、
 適切な時期に適切な課題を課すこともなく、
 適切な期待を課すこともなく、
 「どうせ普通にはならないのだから
 と半ば意図的に、児を低い能力水準や
 適応水準(=年齢相当の礼儀やスキル獲得を望まない)
 に留めることを.. よしとする、してしまう!
 (専門家も含めた)周囲の大人の姿勢、なのです。


 そんなことを考えつつ
(上記の観点とも関連するのだけど)..

 標準下位ランクの知能
(と概ねそれに対応する自閉度を)持つ児が、
その能力をもって必死に訓練を受け研鑽を積んで、
「普通のひと」として、定型発達の枠のなかで職を得て、
それでもやはり世の定型発達者の「下位」に
位置づけられつつ生きるという生き方と、
 その児の状況を明確に「発達障害である」と社会に認定され、
「発達障害者」の枠の中で職を得て、
それなりの支援を受けつつ、
おそらくはその枠内での高位者として生きる生き方と..
 それらを比較すると..

 やはりいろいろと難しいことを考えてしまいます。

 いや、純粋に(見栄とかプライドとかを度外視できたとして)
当人自体がどちらを幸せと考えられるかといえば、
それは後者であろうと言えるのだけど、
それを保護者や周囲の者が、素直に望めるのだろうか?とか..


 発達障害は、
やはり私にとっては安易に「個性」
と言えるものではない場合の方が、多いのです。
 それがある種の能力への到達や適応を阻害する(水準を下げる)
可能性があるのであれば、
それはやはりハンディキャップであろうよ、と。

 今の社会情勢なり経済状況を鑑みるに、
今の児たちが社会に出る頃には..
「概ね普通以上の知能と、それ以上の応用性
(”目端が利く”とか..
 ぶっちゃけた話、それを「ズルさ」だと言い切ってもよい)」
を有する一群だけが、
社会の中でどうにか安定したポジションを得ることができ、
残りの大多数は思い切りそのワリを喰わされる..
 そんな時代になりはしないだろうか?
と私は結構..いや殆ど本気で、心配しているのですが、
その世界において、発達障害の傾向を持つ児たちは
その純粋さ、真摯さだけで、
世間と渡り合っていけるのだろうか?
 
 いずれにせよ保護者も指導者も本人も、
もんの凄く努力した先に見えるものが、一部の..
まぁそれなりに
「他者を出し抜いたり利用したりできる程度にはズルい」
定型発達者の下僕、程度のものなのだとしたら..

 それはイヤだ!という思いは、
今の私に強くあります。

 とりあえずどの知的水準の児に対しても、
適応に資する”精神的体力”(我慢強さと打たれ強さ)
と実用的なスキル/思考を!
通常水準或いはそれ以上の水準の知能を持つ児に対しては、
定型発達者のズルさに最低限対処できるだけの知的経験と方法論を!
…という目的意識で、今は仕事しているところなのです。


 一方で、この項に既に書かれた内容の中にも、
定型発達者を競い合うのとは異なる答え、
というものが、あるのかもしれない。

 定型発達者と競い合って、
通常枠の内側で何らかの「勝利」を得るのが目的ではなく、
個々人の、個々人なりの幸福を求めることが
「真に勝利である」、
と、誰もが心から言えるのであれば..

…まぁ、意外なほど幸福の枠組みが狭い感じの、
現状の日本において、これを本気で目指すのも、
勿論困難なことではあるのですけどね。


 結果を目指すのは、勿論大事なことです。
私は専門家なので、仕事には相応の結果を求めますが、
 もっと大事なのは、
当該児や保護者や指導者はじめ周囲の大人が、
発達と適応に向けて日々最大限努力する、
その過程そのものにあるのだと思っています。

 ..当ブログでは以前にも、
ほぼ似たような文言を示してきましたけど、
その思いは変わらないのです。

 とりあえず自分が人生の最期のときを迎えるときに、
「俺は/私は やりぬいた!」
「やるだけのことはやった!」
という思いに至ることができていれば、
その人生は結構アリ、だと思うのですけどね。
そうなりたいもんです。私も。

 そうあることが、
充実した人生の条件なのだと、思っています。
 

 本日は諸般の事情で
(*直近、3/3に実施する勉強会の資料作りのため)
障害児を生んだ母親たちの手記を読んでいたのですが..
その内容があまりにも凄まじいもので、
(人に薦めたいけど薦めていいものか本気で悩むほど辛い内容満載)
 私も..自分がまだこんなに泣くことができるのか、
と自分で驚愕するほど、一人で泣きまくっていたのでした。

 …。

「とりあえず、生まれてくれただけで幸せ」 
という感覚についても、
親は、決して忘れてはいけないのでしょうね。

 尤もその辺りのところで完全に満足してしちゃったり、
早期に発達/適応への努力を放棄されちゃうと..

 私の仕事なんかは成立しなくなっちゃいますけど、ね。


先にあるものイメージ

久しぶりの

  • 2012/02/13(月) 23:10:20

連休を利用して、
久しぶりにまとまった旅行に行ってきました。関西に。
昨年はいろいろあったせいで、そんなに行けなかったし。

 行く理由もいろいろとあったのですが、
とりあえず

ゝ都で期間限定公開されていた
 (今現在見たい事情のある)絵を見る

⊃生(宝塚)の手塚治虫記念館
 http://www.city.takarazuka.hyogo.jp/tezuka/
 に行く

B膾緇床按の玩具問屋街
 http://www.matuyamati.com/index.html
 に行く

 と、それぞれそこそこ真面目にこなして参りました。
(*私はテーマも設定せぬままに旅に出れない)

,呂沺嫉纏とは直接関係はないので。


△砲弔い討蓮
 なんだかんだで手塚治虫好きな私
 (書架にも結構マンガ入れているし)として、
 人生何度めかのブームを迎えつつ、
 まぁ彼のキャラクターというか..
 発○的な事情(笑)?も踏まえ、
 いろいろ興味をもって調べていた時期だったので。
 
 特に旅行中、
 本人の講演録をまとめたような内容の
 書物(新書)を読んだのですが、
 これが実にイイ感じなのでした。
 読みながら、そこから新しい課題を思いついたり..
 
 当の記念館では
 何気に結構水準の高いオリジナルアニメを見れたり、
 最終巻を読みたいと思いつつ
 機会を逸していた某マンガを読めたり
 (バ○パイアですけど)結構満足したのでした。
 
これもそこそこ大事な用件として、
 課題になりそうな玩具を求めて。
 まー扱われているものの多くは、
 基本駄菓子屋に並ぶ”駄”玩具なんですけど、
 それはそれでいろいろと個性があって面白い!
 それなりに購入もし、
 そうでなくても課題設定の参考にしたりできたのでした。


 旅行中は上述以外の読書も進めることができ。

・「銃・病原菌・鉄」
 http://www.amazon.co.jp/%E6%96%87%E5%BA%AB-%E9%8A%83%E3%83%BB%E7%97%85%E5%8E%9F%E8%8F%8C%E3%83%BB%E9%89%84-%EF%BC%88%E4%B8%8A%EF%BC%89-1%E4%B8%873000%E5%B9%B4%E3%81%AB%E3%82%8F%E3%81%9F%E3%82%8B%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E5%8F%B2%E3%81%AE%E8%AC%8E-%E8%8D%89%E6%80%9D%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%AC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%89/dp/4794218788/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1329315936&sr=8-2

 待望の文庫化!で即購入。

  なんだかんだでここ20年くらい漠然と扱ってきた、
 疑問(のひとつ)というものが私にはあって、
 それについての..
 「現時点でもっとも完成度の高い解答」
 と言うことができる本なのでした。
 だったら尚の事、
 とっとと親本(ハードカバー版/2000年刊行)
 読んでおけばよかったという気もしますけど(笑)
  その10年以上の期待に違わぬ、傑作でした
 (*まだ読み終えてないけど)。
 生物学・生態学、地理・地政学、果ては政治や宗教まで..
 「人類学」に関わる書物だとしても、
 とにかく扱う領域が広い!
 そして個々の考察のレベルが高い!
 更に作品全体を貫く、
 明確な人種に対する平等主義
 (優れた人種/劣った人種などというものは、存在しない!)
 にも心を打たれます。
  個々に見ればともかく(?)
 大きな括りで見る限り、
 人種間に本質的な(知的)能力の違いはない!
 という視点は、私も正しいのだと思っています。
 
 その他、
 箸休め?扱いで旅行中に買ったマンガが、個人的に大当たりで。

・「中学生日記」
 http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E7%94%9F%E6%97%A5%E8%A8%98-%E6%89%B6%E6%A1%91%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%81%8F-3-2-Q-B-B/dp/4594057136/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1329316367&sr=8-2

 中学生(中2じゃなくて中1!)男子のリアルとは..
 まぁこんなだった!
 これ以上でもこれ以下でもなかった!
 という実感を覚える男性(*とりあえず)
 続出!と思われます。
  中学生って基本(大人から見れば)
 くだらないことしか考えていなかったし、
 そのくだらないことが、
 すんごく重大に思えてならなかった..

  後書きにもありますが、
 当の中学生が読んでも全然面白くもないし
 笑えないであろうところが、
 数十年を経た大人が読むとツボにはまってしまう、
 そんな感じの笑いです。

 とりあえず中1男子の親と、
 その候補生は、
 読んでおいてよいのではないでしょうか?
 読んだら読んだで、相当に
 (余りにリアルにバ○過ぎるので)引くでしょうけど。

火の鳥