お泊まり会

  • 2012/07/08(日) 23:52:11

お泊まり会を終了しました。

今回は..
私の方で諸事情あり、
要するに「体調的に大いに問題がある」
状況での実施となったのですが
(*そういう状態になったのは前日)
 私以外にも職員が居る状況で、
なおかつボランティアを含め指導側も
予め多めに配置できていたこともあり、
実施においては殆ど問題は生じず..
むしろいつもの実施時よりも
時間等の調整は上手く進んでいたくらいでした(笑)

 その他、私(とかシライとか)なら
まぁ..実施しないような課題設定の中、
児たちの予想外の行動を目にすることができました。

 当日は七夕だったので、
七夕関係の制作を実施したのでした。
前の職場とか..ならともかく、そもそも季節ものの行事自体、
クリップ以降滅多にしていなかったと、唐突に思い至った次第ですが。
 それはそれで、児たちの通常見れない
興味深い側面を多く目にすることができて、
大いに興味深い展開になったのでした。
 制作物では..
指導の枠組で実施した場合には、
児に対しある程度その行動を「強制」する状況が生じる一方、
そういった規制を「かけない」場面で、
児たちが示す創造性であるとかアドリブの効かせ方、
当人による課題(造るもの)の選択の仕方など、
見るべきものは結構あったのでした。


 まぁ..
実施時及び直後の私の疲労と消耗は半端ではなかったものですが、
それは思い切り自業自得な感じだったし..

 今回はとにかく、同僚やボランティアの方々に大いに助けられて、
無事な終了まで漕ぎ着けたのでした。
あー報告書書きでも大いに働いてもらったし..

 私は生来異常にコントロール欲求が強い
(こと仕事に限れば、
 何事も自分で把握して関与していないと気が済まない。
 悪く言えば”他人を信用できない”とか?)のですが、

 今回は..「自分で仕事をしない」
ということも、結構素敵なことなのだなぁと思う、
よい機会にはなりました。はい。


 今回は残念ながら初日は全て雨。
二日目は、数年前から移動先候補地として気にかけていた
はまぎんこども宇宙科学館
http://www.sciencemuseum.jp/yokohama/
 に行ってきました。

 私は当日は上記した事情もあって
子どもたちと一緒に動いていないのですが..
(実施数日前に一人で踏査した)
皆楽しかったようだし..
今後また、行く機会を作りたいものです。

 
雨中移動

科学館

標準への意志

  • 2012/07/02(月) 23:28:09

 先日の高学年向きグループで:

最近私の指導枠で、
とある事情から採用した
「とっっても辛い運動」があるのですが、
それを実施した際の話。

 単純な動作の繰り返しではあるのですが、
それを1分間!
可能な限りペースを落とさずに実施しなければならない。
途中30秒を過ぎた辺りで、
誰しも”とんでもない疲労と苦痛”を感じる筈だけど、
そこでペースを落とさぬためには、
実施者には相応の意志の力と、
苦痛に屈しない精神力が必要になる。
まー私は精神論は基本的に好きじゃないけど。
(*「意志的に振る舞う」ことの意義を考えることも、
 最近の私の個人的なお勉強のテーマのひとつ)


 で。
当日は私が最初に実施して114回..
ケースたちは既に何度か実施しているのですが、
当初は4-50回くらいで低迷していた数名も、
数回の施行を経て現状ではなんだかんだで100回前後、
児によっては120回以上、こなせるようになっている。
 私はこの有様をみて、単純に
(運動的に)こなれてきたのかな?
等と考えている部分もあったのですが。

この日はその最後にシライが実施したところ、
なにせ彼は初めてで..
大人でも相当きつい運動にも関わらず、
最終的には私及び他児の記録を上回る数字(135回だった)を出して。

 その後に彼から意見を聞いたら

「自分が今日一番目の実施で、
 ホリウチさんなり他の児の出した数字が
 ”見えてない”ところだったら、
 こんなには頑張れなかった筈です」と述べて。

 それを聞いて、なるほどぉと思ったのでした。

 実際私も一人の時に初めて実施したときは、
1分間で60回実施した時点で余りの疲労と苦痛から
「もぉこれ以上は絶対無理でしょ!」
という心境に容易に至ったのでした。


 結局..
定型発達なり、その水準に近いところで課題を把握できる者は、
「その場で提示される規準なり標準を意識しつつ、
 それとの間で自分のパフォーマンスを調整する」
ことができるし..
日々の多くの場面で実際にそうしているのだと思います。

 そこで示されている”標準値”から余りにも派手に逸脱すれば、
それについて何らかのストレスなりプレッシャーを感じたり..
(*多くの場合、そこで標準に近づくためのフィードバックが生じる)
そういう精神状態に至ることそれ自体が、
普通なり定型発達の基本的な精神の在り方、
と言えるのかもしれません。

 そういう意味では..
このグループに属する児たちも、
個々の水準に差こそあれど、
それぞれなりにその場で示される”標準”というものを意識して
そこから何らかのフィードバックを受けて自身の動きを調整できる、
そういう段階に「既に入っていた」のだぁと、

 ..妙に感心したのでした。


 別に普通がいい!普通が素晴らしい、
普通でなければいけない!
とまで言い切るつもりはないのですが、
そういった形で、標準なり普通なりを意識して
ある程度自分の在り方を調整するような心の動きは、
仕事上、とても重要なものとして扱うべきでないかと思っています。


 一方で最近も..
そういった普通なり標準という在り方を
長期間にわたって殆ど意識することのない生活を続けることが、
当人の抱える逸脱の度合いを.. 
「修正が困難な水準」にまで押し広げてしまっているような、
そんな事例を、幾つか目にしたりしていたのですが。

 当人がそういった「普通」という在り方を
上手く意識できなかったり、
また意識したがらなかったりしていたとしても、
 周囲の大人は、そんな当人に対し、
日々淡々と「普通という在り方」を教えていく必要も、
その責任も! 私はあるのだと思っています。
 それを実施しなければ..
発達障害の特性をもつひとは、
容易に自力での方向修正を為し得ないので、
それ故ひたすら、逸脱/不適応の世界に没入してしまう。
最終的にはそんな自分を肯定せざるを得ないくらい
その在り方に浸りきってしまう。

 そういったことに問題意識をもち、
これについて意識的に関わっていくこともまた、
療育の..本質的に重要な部分な仕事なのだと、
思ったのでした。


 まぁ「普通」ってものそれ自体も、
時代や文化やその場のノリによっても「揺れ動く」ものだし..

 だからこそ、発達障害の傾向をもつ個人にとっては、
常にそれをどこかで意識しつつ
それを行動に反映させることについては、
やはりかなりの困難があるのだとは思いますけど。

こんな感じ..かも。いや足が極端過ぎるか?