お泊まり会(13)

  • 2012/08/26(日) 22:40:04

お泊まり会(13)を実施してきました。

この季節に実施するお泊まり会については..

 一年前の8月実施時に思い切り外歩きモードを選んだら、
実施している自分の方が暑さに敗北しかけた経緯もあり..

 今回はその辺りも踏まえ、
その他諸々の事情もあり、
二日目は鉄道博物館まで足を伸ばしました。
(正に「足を伸ばした」という感じで。
 今回の実施後の感覚としては、
 お泊まり会で利用するにはやはり、
 ”やや遠すぎる”場所と言えるようでした)


 それなりに実施状況を検討し、
一昨年前には合宿と踏査で計2回、
今回も実施前に踏査を行って臨んだのですが、
にも関わらず本番で、ある大ミスをしてしまい..

 児や協力者に対し心苦しい限りの実施状況も
一部にあったりしたのでした。
(その他今年の8月は仕事上のミスがやや..多かった気が。
 ルーチンを外れた業務時間とか、
 仕事内容が生じやすいし..その他直接関係ないとはいえ、
 ”夏休みなのでテンションが変”なのかもしれません)
  
 私は通常状態で”根が暗い”というか、
物事のネガティブな側面に留意しつつ事物を眺めていることが多く、
現場で起こるであろう物事に対しても、
必要以上の期待を込めずに臨むことが多いようです。
で、実際の状況では(その..明るくない予測に照らせば)
大概はある程度良い”目”が出るようになるので、
そうしてそこそこ精神のバランスがとれるわけですが、

 それにしても今回のミスは個人の心情としても、
結構痛い感じのもので..

 そんなときに、私とはその辺で根本的に?
システムの違う感じの..
本質的な根の明るさを持つ児の発言や振る舞いに
大いに救われたりもしたのでした。


その児の、かつてのエピソード(私は結構気に入っている):

 ある外出時に、300円で参加できるゲームがあり、
その児が勿論自腹でそれに参加した。
それなりに列に並ぶ時間等もあった後にゲームを行い、
何がしかの景品を得て戻ってきた。

 帰路の電車内で

私「(その景品は)幾ら?」
児「(調べて)300円です」

..じゃぁプラマイゼロだね!
と言いそうになったのですが

児「(ゲームで)ワクワクした分、得しました」

 …私にはないなぁそういう感性(笑)

 でもその言葉には大変に感銘を受けたのでした。
児に対してはその瞬間、
殆ど尊敬の念すら感じた記憶があります。


 そういう「前向き」さというものは..
私が思うに、生来の感覚的な安定
(不快を軸に世を認識していない)を備えていることと、
育ちの良さ/親の関わりや価値観の影響が大、なのでしょう..

 前者はある程度、少なくとも発達の初期段階では
「どうしようもない」要素、ではあるのですけど..
(その感覚や認識の特異性に周囲の大人が気付くことさえできれば、
 療育の方法論は、ある程度その状況を緩和したり、
 それに対応する心理的構えをとらせるなど、
 ある程度適応的に慣らしていくことは可能だと、
 現在は思っています)


 まぁそういう発想が出るから、
当該児の世間的な適応がよいかというと、
別にそうでもなかったりするのが
世の中の難しさというものですが(笑)

 ただその種の前向きさを宿した時点で、
ある程度人生的には勝ち!..それが言い過ぎだとしても
確実に「勝てる」要素を持って、
人生を生きることはできるのだろうな、
とは思うのでした。 


クリップ付近

鉄博 

道徳

  • 2012/08/15(水) 23:04:49

 クリップはまぁ..
特にお盆も気にせず仕事、の日々ではあるのですが。

 その合間の休みをまる二日間分潰して、
9月に実施する勉強会、
都合二つ分の資料を一気に作りました。


 一つは通例の勉強会のもの。
テーマは「困難事例」。
既に合宿で1度扱った内容とも関係があるのですが。
 
 「事例」報告とか発表とかというのは..
少なくとも"成功裏に終わった"事例というものは、
(まぁ療育の場合は何をもって成功とするか?
 という観点もありますけど)
ある程度、演者の自慢話じゃん!
という感覚で読んだり聞いたりしている部分が..
強かったりするのです。私の中では。

 仕事をしていて実感できるのは、
むしろ「上手くいかない」状況に陥った時にこそ、
自身がそこから学ぶべきものが..
あったのではないか? ということなのでした。

 上手くいかない状況を学ぶこと、その数をこなすことで、
ある程度その種のリスクに感づき、
回避できる発想も生じるようになるし、
それ以上に、
上手くいかない/困難な状況に置かれた際に、
自分なりにそれをどうやってフォローするか、
リカバリーするか!という感覚を、
実地に養うことができる。
 
 ..確かにプロがお金もらって仕事している以上、
その職務上「失敗」というものは好ましいものではないのですが..
でも失敗もせずに仕事をこなせるようになる人なんて、
実際にはいませんよねぇ。
(現在の人事だの採用だのの在り方を見ていると..
 特に非正規採用の仕事の中では、その多くの状況において
 働くひとの成長とか教育とか訓練とか研鑽とか..
 その人的成長に応じての仕事内容の向上とか..
 そういったビジョンがまるで見えない!
 ことに、心底不安を感じます)

 そうしてその失敗から何らかの知見を得たり、学んだり..
長じてむしろその状況を利用して、
別の在り方の成功や適応に結び付けたり..

 心理として発達臨床に関わる立場として、
ある程度経験を積んでいく中で、
私もそういった「捌き方」を..
それなりに身につけてきたのであるなぁと感じることが
最近..偶にあるのでした。

 というわけで困難事例。
「よろしくないひと」の話というよりは
「よろしくない状況」に陥ったときの人の動きとか、
陥りやすいパターンとか、
そういった状況での前後に生じた
「よろしくなかった対応」について
参加する方が学ぶ機会になればと思います。


 もうひとつの資料は
9月に実施する合宿勉強会で実施するもので、
テーマは「道徳」なのでした。

 昨年とある倫理・道徳系の書物に出会ってから、
個人的にはずっとそのテーマを温めてきていたのです。


「道徳」観念とは何か?

道徳とは、そもそも何のためにあるのか?
その道徳が現在の形に至るまでに、
どのようなひとの思考の積み重ねがあったのか?

 それらを踏まえ、
ひとがその道徳の..物凄い本音の部分
(*通常の学校教育でままず語られることのない、
 身も蓋もない正直な感覚)と..
まぁ日本の通常の教育の中で示される「建前」の部分を、
どのように受け容れ、認識し、扱いつつ、
生きていくようになるのか?

 そしてまた「発達障害を有する個人」の道徳観は
その適応に際してどのようなものであるべきなのか?
その水準に至るためには、
周囲の大人としてどのような関わりをもつべきなのか?

 といったような感じで。

 序盤からかなり、基礎資料と格闘する羽目になったのですが..
個人的には作っている大部分の時間は実に
「つまんねーなぁ」
と思っていたし..
そのつまんねー資料を読まされる保護者の方々もさぞかし..
とか思いつつ..でした。

 しかしその資料が、
とりあえずこの段階で、ひとつの完成を見ると..
そういった自分の認識についても、
やや変化が生じたのでした。

 ここで思考の要となるのは、
やはり道徳の成立事情に関わる、
上記したような「身も蓋もない本音」の部分を
ひとが人生の中で如何なる形で理解するか?
(或いはしないか? 
 「しないまま生きていく」という在り方も、
 確かにそこら中にある、気がする。
 日本って国の国民性がそもそも..
 道徳というものの本質を形骸化させる傾向があるというか..
 それを本当に建前論だけのものにしてしまっている
 といった部分も、大いに感じる)
というところにあるのだと思います。
 一方でそこで示される「身も蓋もなさ」というものへの、
その直接的なアプローチこそ、それこそ正に
「発達障害」的センスに由来するものなのだよなぁと
改めて感じたり..

 (「哲学」というものも..
 そこから遠い感覚で生きている人間からすれば、
 何やら「高度で複雑で高尚で」
 という感じに映るのかもしれません。
  私も結構最近まで、そう思って眺めていたし。
 でも哲学が投げかける問いそのものは、基本的には..
 ものすごい直球の..
 直球すぎて「大人」としては鼻白むしかないような
 性質のものだったりするのでした)

 ここでのもうひとつの思考の要が、
そういった道徳観念を、ひとが..
そのひとの中でも特に(基本状態で)マイペースで
なおかつ利己主義者である(*一部例外あり)
発達障害状況のひとが、敢えて遵守するための条件なり理由!
の部分の理解なのでした。

 この二つの要部分についての考察を、
この機会に、自分なりにまとめておくことができたことは、
意外に..今の自分の仕事的にも、
大事なことだったのではなかろうか?

 ..といささか我田引水気味に考える、
今日この頃なのです。


 とはいえ今回まとめた道徳に関する資料やその発想を..
「ある種の状態にある」(その際の条件設定はかなりシビアですが)
児に対し説いて聞かせることで..
それこそ正に当人の人間観や道徳感覚を”調整”することも..
或いは可能かもしれないと、今は少し考えています。


 まぁアレです。

 頭を使うのも身体を使うのも..
動き出す前はしんどいし辛いものですが、
その感覚を超えて実際に能力を振り絞ったあとに生じる、
ある種の快感というものは、
やっぱりあるなぁと思います。
これはまぁ仕事の喜びの一部なのでしょう。

 精神をある程度安定した状態に保とうとすれば、
それなりにクリエイティブなことも、
日々の中で行っていかねばなりませんね
(通常業務中だと、課題設定で少し凝ってみるとか
 全く新しい課題を考案したとき等にも、
 この種の小規模な快感は得られる)。

なんとなく..○徳