とにかく、暑かった..

  • 2013/08/13(火) 23:53:30

 お泊まり会ネタが続きますけど..


今回で18回目。

今回も泊まり場所は私の家なのですが、

夕食はクリップで。その後家に移動して風呂と就寝

と、それはそれで初のパターンで実施
(まぁ..いろいろ事情があるのです、その辺については)。

 前回7月実施時は、
銭湯の後、夜だというのにとんでもない暑さの中を
家まで移動するだけで、皆汗だくになったものですけど..
その辺りは正直今回の方が、楽。

それにしても..
二日目、8/11(日)の暑さは半端でありませんで。
7月実施時の暑さなんざ遥かに凌ぐ、凄まじさでした。

 近所の(まぁ、大概は行く)動物公園に行って、
..それはそれでお子さん方大興奮で、
連れてった方としては嬉しいのだけど(笑)

あまりの暑さで1時間半で撤収しました。
そんな凄い暑さでした。


 今回の参加児は..
お泊まり会としてはこれまでで最年少級で、全員未就学児。
クリップとしてもまぁ、
グループ指導の範疇では、
現状最強かわいこちゃんチーム、なのでした。全員♂だけど。

なもので、とりあえずどちらを眺めても、かわいい(笑)


(1)

 初日夜の食事は、近所からお弁当を取り寄せて実施。

 冷静に考えると、クリップ内で食事指導をしたことは、
これまで..1度、あったっけ(私が主導ではなかった)?
というくらいだったのですが。
 
 「自分の」テリトリー内なので!
(他の状況は、合宿もお泊まり会も、
 なんだかんだで公共の場での指導となるので)

 時間を気にせず、かなりじっくりと!
子どもたちの食事に向き合うことができたのは..
なかなかに貴重な経験なのでした。

 食事場面の観察や指導については、

前回の更新

http://clipsince08.dtiblog.com/blog-entry-317.html

でも触れているのですけど。

 それを切り口にして、家庭での関わりの様子や
子どもの行動/心理面の特性を改めて眺めることができて、
面白い。

 とりあえず乳幼児が手づかみの段階からスタートして..
そうしてつい伸びる手の動きを抑制して!
スプーンやフォークを用いる段階へ至り、
更により複雑な箸を扱うという、
その一連の過程自体、
「人間として」、高度に自身の衝動を制御し、
自分の動きをコントロールしていく過程なわけで。

 その技術を..
勿論周囲の者から指導を受けつつではあるのですが、
獲得していくその過程自体、
発達や適応と大いに関係のある過程なのだよなぁと、
改めて思うのでした。

 まぁ器用とか不器用とか、
本人の資質も問題にはなるのだけど、
その技術(箸を扱う)までは、
日本人が生きていく上で、
最終的に殆どのひとが身につける技術なので、
それをどういうペースで、どの程度効率的に、
児たちが獲得していっているのかを眺めれば、
それはそれで児やそれを取り巻く環境についても
一定の洞察が得られるのでした。

 これは、面白かった。
今後も機会を設けて、やりたいなぁ。

(2)

 今回の児たちの最大の特徴は、
その幼さ/ちっちゃさ
にあるわけで(何せ全員電車バス無料だし)。
それ以外の側面について言えば、
より年齢の高い児たちと、勿論似た傾向を有している。

 それは自己中心性だったり、こだわりだったり、
認識の堅さだったり。

 なのですが、対応していて..なんか妙に、楽。なのです。

 年齢を経ているということは、それだけ、
長い時間を生きているということで、
それは場合によっては..それだけ長く、多く、
(自己中心性であれば)自分中心に事物を認識し、
判断し、振る舞い..
(残念ながら)それを周囲から修正されることなく、
総じて適応上”誤った”行動パターンを、
より強く自身に刻みつけた状態である。

..という見方もできるのかもしれません。

 勿論当人の中で更に認識の水準があがっていけば、
ある段階で再度、他者との関わりを重視したり、
他者の意見に耳を傾ける要素が発現することも、
あるのかもしれませんけど。


 今回の児たちはその辺り..
実になんというか”未開拓”な感じで..

 細かく見れば勿論..
いろいろあったりするのですが、
私や指導側の示す命令については、
概ね拍子抜けするほど「素直」に、
これに従うという特性を残しているのでした。
まぁなんというか..
適応的にややこしい感じの意味合いにおける
”自我”というものが、
まだ彼らの中では強くない、
という感じなのかもしれません。

 対応に際し、身体で止める必要もなければ、
強い口調で対応する必要も、殆ど、ない。 


 そうした児たちの様子を見るに..

やっぱり鉄は熱いうちに打つと、楽なんだってことだよなぁ!!

 との思いを..新たにするのでした。


 それが年齢を経て、個人の..

 特に適応的に誤った志向や認識が、
環境の中でそれと見出され、修正されることなく
当人の中で定着した/”固まった”状態の児だと、
日常場面における関わりのあちらこちらで..

いろいろと軋轢が生じてくるのですけど。

 
(3)

 もうひとつ。
今回改めて考えたことは、
大人から子どもに対して行われる
”配慮”の意味付けについて、でした。

*関連する内容として:
http://clipsince08.dtiblog.com/blog-entry-304.html

 クリップに来ているくらいなので..
子どもたちの親は、勿論”いい親”であることが多いのですが、

”いい”親は、往々にして優しい親でもある。
自身の..人間として能力自体も高く、
共感性も(..まぁ大概は)高いので、
つい子どもの困り具合を見て、配慮をしてしまう。

 その配慮が子どもを楽にさせ、
精神的に安定させることもあるのだろうけど、
一方でそうした配慮は、
子どもが本来努力すればできる課題を取り上げてしまったり、
子どもが自分の力でしよう!
と思っている意欲を阻害してしまったり、
することもある。

 実際..クリップの子にしても定型発達の子にしても、
その辺り、ある程度(能力的に)なんとなーく
”配慮を欠いちゃった”感じの親御さんの下で、

 ..結構よい適応を示すに至る子も、
居たりするのを目にすると。

 子ども(*の発達)にとっての
”よい”親って..
何なのだろうな?
と考え込んだりしなくも、ないのでした。

 おそらくはそれに対する完璧な答えはなく、
せいぜい「このタイプの子にはこういう親だと、いい感じ」
程度のパターン認識がかろうじて成立する、
くらいなのでしょうけど。


 「いい人/優れた人」はその人なりに、
自分以外のひとについても皆
(*いろんな意味で)「いいひと/優れたひと」
と思ってしまうのは..
これまた以前にちょと触れた
Ego-centric Predicament
の影響によるものなのでしょうけど。


 私が思うに..
心理職と同じく、療育に関わる者もまた..
「いい人」であるだけでは、
容易に務まらないんだろうなぁと思うのでした。はい。


夕食

就寝

公園