読書ネタ(2.5題)

  • 2013/06/19(水) 23:40:23

ここしばらくの間に読んだ本のこと:


1.「助けてと言えない -孤立化する三十代-」

http://www.amazon.co.jp/%E5%8A%A9%E3%81%91%E3%81%A6%E3%81%A8%E8%A8%80%E3%81%88%E3%81%AA%E3%81%84-%E5%AD%A4%E7%AB%8B%E3%81%99%E3%82%8B%E4%B8%89%E5%8D%81%E4%BB%A3-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-NHK%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%97%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E5%8F%96%E6%9D%90%E7%8F%AD/dp/416783863X/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1371649293&sr=8-1&keywords=%E5%8A%A9%E3%81%91%E3%81%A6%E3%81%A8%E8%A8%80%E3%81%88%E3%81%AA%E3%81%84

 私が30代かどうかはともかく(笑)
NHKスペシャルから派生するこのライン..「孤立死」とかのネタも、
ここ数年私の個人的なお勉強の一環として目を通していました。

 この世代は..

 ”上の世代”の連中が好き勝手にやり散らかした
莫大過ぎる規模の失敗やツケを
「将来に渡って」背負いこまされ、
そのひずみから来る職務上の無理や無茶に耐えられない者は、
その問題を「自身の責任/能力のなさ」と断罪され、
一方でろくな指導を受ける間もなく過剰な成果主義を押し付けられ、
他社はおろか他部署や同僚、
同期とも協力より張り合うことを求められ..

 そうした日々が常態化する中でいつしか、
家族や他人に愚痴ったり、
助けを求めることも拒否するようになって、
あるとき一挙に社会からドロップアウトしてしまう。

 自身の犯す失敗を
「全て自己責任」と言い聞かされて育ってきて、
他者や社会に迷惑をかけることを異常に嫌う。
それを為すことも、他者に助けを求めることも、
「恥ずかしい」と感じる。感じさせられる。
故に厳しい状況でも我慢して、抱え込んでしまう。
 本当に切実に、助けを求めているときでも、
「助けて」と言えない。
そうしたまま、ふとしたきっかけか(リストラとか介護とか)
から普通の生活をドロップアウトし、
そのまま..どのセイフティネットにかかることもなく、
時に命を落としてさえ、しまう。

 それはひょっとしたら、
極端なひとの極端な例なのかもしれないけど、
そうして苦しい思いをしているひとたちの話は..
個人的にも大いに考えさせられるのでした。
 
 まぁ..そういう素因
(自罰的とか真面目すぎるとか要領が悪いとか)
をもった人間が、そういう環境
(小○政権以降特に顕著になったけど
 それまでも潜在的にはずっと続いてきた、
 失敗を自己責任とするような意識を
 押し付けるような教育や社会の在り方)
にさらされて、
やや過剰にそういう意識状態に陥ったときに..

 そうした極端な状況が出現するのだろうけど。


 心配にはなります。

自分の関わっている子
(*達の中の..まぁ「真面目な一群」)が、
そんな風に..他者に押し付けるイメージにいいように操られて、
そういった形で..
社会から、世界から容易に「外される」未来というものを。
(残念ことに..おそらくこの先数十年、
 社会はこうした傾向をより先鋭的にしていくものと、
 私は想定せざるを得ない)

 発達と適応の過程で、勿論児にとっての、
その児の能力に応じた「自立」というものを模索することは、
療育の仕事として、あるのだと私は思っています。

 でもその自立の過程で身につけるスキルの中には
確実に
「”自分のできないこと”を自分で自覚すること」
「できないこと、知らないことは他者に聞いたり助けを求めること」
(*同時に..一方で過度にそれに依存しないこと!)
という部分があるのであり。
 ..そうして他者と関わることも、
また「自立」の一部であるということも、
子どもたちには教えてあげたいなと思うのです。

 社会の方が知らずに「自己責任」を押し付けようとしても、
時にはそれに対抗してでも。

 まぁ..「真面目な一群」にはね(笑)
そうでない群には..日々
真面目にやれ!」て、言うでしょうね、きっと(笑)


2.「ウルトラマンが泣いている-円谷プロの失敗-」
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%81%8C%E6%B3%A3%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E2%80%95%E2%80%95%E5%86%86%E8%B0%B7%E3%83%97%E3%83%AD%E3%81%AE%E5%A4%B1%E6%95%97-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%B0%E6%9B%B8-2215-%E5%86%86%E8%B0%B7-%E8%8B%B1%E6%98%8E/dp/4062882159/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1371650332&sr=1-1&keywords=%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%81%8C%E6%B3%A3%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B

 まーなんつーか。
天才である創業者の仕事を「きちんと継ぎきれなかった」
(私は某野球監督の息子とか..「天才の子ども」を目にすると
 いつも「回帰の法則」という言葉を、思い出す。
 要するに天才の子どもは、宿命的に、
 ”天才が半分程度に薄まっている”状態なんだよね)
能無しな創業者一族の繰り言なんだろうなと思いつつ..
(*まぁそういう本、という性質は実際にあるのだけど)

 読んでみたら、実に意外に、よい本でした。

 著者の語り口が基本的に誠実で素直だからでしょう
(実際にそうなのかは別にして)。
 まぁ私がウルトラマンシリーズを好きで、
それを見続けているからこその面白さというものもあるけど、

..この作品製作の裏で、こんなお家騒動が(笑)
とか..こういう事情でこういう傾向の作品になったのね、とか。

 勿論この本で書かれている事柄は、
その一族の一人の人間の立場から書かれているだけで、
その他の(まぁ本作で悪役に挙げられている)
人たちの意見というものも、
当然他にあるのだろうけれども..


 でもまぁ、先人の築いた偉大な、偉大過ぎる財産に
ただ「乗っかっちゃった」ひとたちの生き方の..
無様さというかしょうもなさというか哀しさというか..
そういうものについては、考えさせられました。

 そういうひとたち、何かを「継ぐ」ひとたちにだって..
勿論そういう立場のひとなりの悩みとか懊悩とか、
特有のコンプレックスとか?
 あったりはするのだとは思います。

 でも結局..他人が生み出したものをネタに、
それを土台にして、
それに乗っかっちゃった状態からスタートしていて、
それをマネージメントする程度の仕事で..
そこで一時ちょこっと(*て本書だと億単位とかだけど)
利益なり結果を出したとしても、
それで自分に経営者としての才能を見出したり、
精神的に創業者級と同列に扱いたくなるとかって..

 それって他人から見ると
実にちゃっちぃセンスなんだけどなと思ったり(笑)
(まぁ当人の中になまじ..
 そう思われているんだろうなって気付くセンスがあると、
 なおのことそれがコンプレックスになっちゃうんだろうけど..)

 マンガ「ナニワ金融道」の終盤で、主人公が創業社長に
「自分はこれまで社に○億の利益を出した!」
 と突っかかったら
「ひと(俺=会社)の資金を背景に、それをちょいちょいと動かしただけ。
 ○億を0から生み出したわけではない。
 お前の言う稼ぎなど、その元手がなければ決して出せることではない。
 調子に乗るな」
てな感じで軽ーくいなされた描写があって..
そうなんだよなーそれを取り違えてはいけないんだよな、と思いました。
(まぁひとは、しばしばそういう認識上の誤りを犯すのだけど)

 私は、物事をマネージメントすることと、
物事を生み出すことの間には、
とんでもなく差があると考えています。
それは私の出自というか..
育った在り方にも影響があるのかもしれないけど。

 何かを一から「創造する」ことの困難さと偉大さを思えば、
それとマネージメントすることとを同列に扱うことなど、
できはしない!と思うんですけどね。
(勿論創造することとマネージメントすることは「別種の才能」であり、
 両者が個人に同居することは往々にしてなく、
 それぞれが等分に優れた才能であることは認めるけど。
 でもまぁ、「創造側の才能の方が他方よりも遥かに希少」
 ではあるよね)

 だから私は、何かを生み出す、生み出しているひとのことは、
そんなに批判しない。
その作品も。映画でも本でもその他でも。
そんなには(*まぁ..例外は少しはあるけど)酷評できない。
何を作る、生み出すって、大変なことだと思うから。
それをある程度の形になるところまで「作った」という行為自体、
評価できると思うから。

 継承する者が、そういった創業者への崇敬の念を持ち、
「それを継承している」という行為を選んだその時点で、
自身がその後どんな功績を挙げたとしても!
その結果など大したものではないし、
ましてや創業者とその自分を同列に扱うべきではない
と理解さえしていれば、
その程度の謙虚さをもっていれば..

 もうちょっと..この本で書かれたような状況とは、
異なる状況になっていたかもしれないなと思いました。

 ま、私は創業者一族が現在関わっていようがそうでなかろうが、
(とりあえず著者は初期の
「ウルトラマン」「セブン」辺りを絶対視して、
「水戸黄門のように」
その流れをそのまま続ければよかった、という立場なのだけど)
スポンサーの意志を反映する類の
商業主義の影響を受けていようが受けていまいが..
 それでもその中でひとの心、子どもの心を動かす、
よいエピソード、よい物語が生み出されるのであれば..

 今のウルトラマンでも別にいいやと思っています。

 結局そうなった今だって、
優れた作品は生み出されているし、
おそらくはその制作過程で、
本来の創業者(円谷英二)への敬意を持ち続けている、
クリエイターの意志というものは、
今も残っているのだと思うので。

 謙虚さって、大事です。いつも。
天才でないただの、ふつーの、多くの、人間にとっては。
(まーでも「謙虚さのないひと」って..
 往々にして自分そこそこイケてると思っているからこその
 謙虚さの無さ、なのでしょうけど)


3.「反省させると犯罪者になります」
http://www.amazon.co.jp/%E5%8F%8D%E7%9C%81%E3%81%95%E3%81%9B%E3%82%8B%E3%81%A8%E7%8A%AF%E7%BD%AA%E8%80%85%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%99-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%B2%A1%E6%9C%AC-%E8%8C%82%E6%A8%B9/dp/4106105209/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1371651791&sr=1-1&keywords=%E5%8F%8D%E7%9C%81%E3%81%95%E3%81%9B%E3%82%8B%E3%81%A8%E7%8A%AF%E7%BD%AA%E8%80%85%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%99

 あ、これは読んでいません(笑)

「タイトル考えた時点で、
 創造エネルギーの8割くらい消耗したのでは?」
ラインの本の気がするので、正直読む気になれない。
(そうでなかったら、著者に大変申し訳ありませんけど)

 でもこのタイトルを目にしたとき..
私は職務上「反省」というものを、
子どもたち(にも大人たちにも)に求めたことは..
ないなぁよく考えてみたら、と思ったのです。
仕事上「反省しろ」とか..「反省」という言葉自体、
ろくに使った記憶や感覚が、ない。

 「反省文」というものを..
少なくともそういう体裁の文章をとして、
そういうものを書かせた記憶も、ない。

..多分シライもそうでは?と思います。

 「反省させる」ことそれ自体に、
指導的に意味があるとは、私は考えていないようです。

 誰か..保護者の方等で何かご自分のこれまでの関わり方について
「反省せねば」といったようなことを口にされた際、
「反省することで改善できるなら(反省)した方がいいですけどね」
といったような反応をした記憶は、過去にあるけど。
(しかし..臨床心理士にあるまじき素っ気ない物言いだよなぁ..)

 反省するという行為が、自尊感情を弱める。
それは多分、事実でしょう。
(反省したことを即座に大人が指摘して、
 それを褒めれば、やや話は別ですけど)

 どういう形であれ
「自分は悪い子だ」という思いを子どもに持たせること、
それ自体についてポジティブな側面があるとは思えない。
それは当方のような「指導的」対応を行う場であったとしても。

 「それは悪い行為だ」ということは指摘するし、指導もするけど。

 それがどのような状況であっても
「それをすることは不適応的であり、
 それをし続けることで、君自身が損をする

 という論理に結び付けていくことが、
当方では多い気がします。

 というか最近私が職務上行った..
説教なり指導の類は、殆どそんなでした(笑)

 恥ずかしいとか悪いとか親が悲しむとか..
そういった部分についてアプローチをかけるよりも
(当該児が”そう指摘されて傷つくセンス”があれば、
 それは勿論そういう部分にもアプローチしていくけど)

 「そのように振る舞うと、結局君が一番損するよね!

という論法が、一番スっと胸に入っていく..
そんな児が、うちには多い気がします(笑)

 私もきっと、そんなだし。

 というわけで。

クリップでは「反省」は、それほど重要ではありません。

 重要なことは何らかの不適応行動が生じた際に、
どうアプローチしていくことで、次に同じ不適応行為が
生じづらくさせるか(反応頻度を落としていくか)
に対する選択なのであり..

 その選択肢として「反省」は..
そんなになくてもいいかな、と。

 極言すれば..
反省しようがしなかろうが!
以後同じ問題行動を繰り返さなければ、
それはそれで全然、いいわけで。

 というのはやっぱり、行動主義者的発想、なのかも。

..助けてイメージ

日ごろの行いがよいので..

  • 2013/06/02(日) 23:55:30

お泊まり会(16)を実施しました。

参加児は5名。
うち4名は高学年(と中学生)だし、
参加回数もそこそこだし..
なもので、全体に比較的穏やかに進行しました。

 今回も前回

http://clipsince08.dtiblog.com/blog-entry-308.html

に引き続き、自宅での実施。
5名が..
まぁ穏当に実施できるひとつの限界、かな。
男女混成のときだと、そうも上手くいかないだろうし..


 にしてもやっぱり、
皆成長していることを痛感します。
とりあえず私が「正座!」と言えば、
みんなその場で正座して静まるし(笑)

 その他とりあえず基本的に言語指示で動けるし。
それだけでも、心底、楽です。
いちいち動かないで済むって、幸せ。
発する言葉が、過不足なく理解されるということが、
これだけ楽なのねと、久々に思うのでした。


 一方で思うことは..
「ひとが発達する」ということは、
大なり小なり当人が..
ひととして相応の悪なり、毒性なりを身につける過程でもある!
ということですね..

 今回の参加児の中には、
ここにきて急激な発達(*行動や発言、価値観の変化)
を示した者もいて。
それが”知能”に反映しているかはともかく..
10歳を超えても、ひとは短期間でここまで変わることもあるのだなぁ
と感じつつ、喜びつつ眺めているのですが、
その伸び方が部分的に、あるいは結構..悪な感じで(笑)

 その児の以前はとらなかった行動:
「他人を操って利用する」などを
活動の中で目の当たりにすると..

 どちらかと言えば感心しつつ嬉しかったりする
(立場上苦言を呈したりはするけど)
私が居たりするのでした。

 一方でその種の”発達”は
その水準の児に期待される
適応(素直とか真面目とか純粋とか?)から考えれば、
明らかに不適切と思われるものとも映るのであり..

 クリップとしては建前上、

 適応>発達 

だと思うので(笑)

 困るところでもあるのです。
(いや、真面目に考えても
    適応>発達  でしょう。
 いくらかしこくても能力が高くても、
 適応できなければ..ひとと上手く関われなければ、
 その能力に意味など見出せないのでしょうから)

 まぁ..不真面目な人間を真面目にする方が、
真面目な人間を不真面目にするより楽だし、
「悪いと良い」も、おそらくは同じ。
方法論もそこそこ見出せるとは思うので..

 実際今回も、その児の不適応さに
方法論で対応し得た部分はあるし、
それなりに知見も得られた(と私は思う)ので..

 そうして..

発達→悪の強化→改善して、更なる適応

 という見通しを立てて、
その方向に進めていきたいところではあります。はい。


 初日夕食は、某レストラン(活動で利用するのは初)
で、ややバイキングな展開。
..もっと滅茶苦茶な展開になるかと思いきや、
皆さん結構普通に振る舞っていて、
(概ねきちんと、取った物はきちんと処理するし)
ちょっと感心しました。

 お風呂は銭湯ではなく、
私の家で一人ずつ指導の展開になったので。
..4人連続で対処したら、思った以上に疲労しました(笑)

まぁでも、今まで仕事で感じることの少なかった..
「世のお父さん」気分はそこそこ味わえた気がします。これで。

 二日目は、横浜方面に。

 数日前からこの日は雨!
という予報だったので、相当に憂鬱だったのです。
 昨年末のお泊まりでも、
同じ横浜コースを想定したのに
雨で流れたので、なおのこと。

 朝は曇り空でしたが、
10時以降は見事に晴れて。

..日ごろの行いがよかったのでしょう。
私か、私以外の誰かの。多分。

 よこはまみなとみらい地区を
大桟橋→氷川丸→シーバスで赤レンガ倉庫
→ワールドポーターズと諸事情混みで動きまわり..

 参加者概ね満足、のお泊まり会でした。

昨年のこの時期は江の島で、
このときもかなり楽しんだものですけど。

 やっぱりいい季節だなぁ。晴れてよかった。

大桟橋付近

赤レンガ付近

ブログの救出

  • 2013/05/27(月) 22:08:01

..5月中旬のある日。
個人的に確認できた範囲では18-24日くらいまで?

 「ブログがほぼ全部、全文文字化け」、
という事態に陥りました。

 最初は様子を見ていたのですが、
日を改めても直る気配がないので..
 それについても最初は結構平然と構えていたし、
データが全部飛んでも..
ま、しょーがねーかと思っていたのですけど。

 そんなに簡単に諦めるのもどうかと..
思っているうちに、今度は深刻に落ち込み始めました。

 クリップで仕事をしながら思うこと、
考えた内容について、
膨大な..とにかく膨大な量のテキストを
(*大して推敲せず)これまで入力し続けて。

 まー正直どうでもいいや、
というエントリーもあるのですが(笑)
そうでもないものだって、結構ある。

 それを書いた時点で得られた知見が
全て自分のもの、自分の血と肉になっていれば、
それはそれで結構なことなのですけど、
そうもいかないものも、ある。

 自分で書いておきながら..
今読み返しても「結構タメになるなぁ」と思うことや、
それなりに卓越した?
見通しや内容に触れているときもあるし(笑)
一方でそれなりに公共性の高い内容..
タイトルの関係なのか内容のせいなのか?
そこそこクリップとは無関係に閲覧される性質の
エントリーも、幾つか、存在する
(そういうエントリーについては、
 クリップ等と検索をかけると優先的にあがってくる)。

 それにクリップ立ち上げ前後のことや、
その後のこと..様々な行事の前後に思ったこと、
考えたこと、あれこれ買ったもの(笑)のことを記した
”仕事日記”としての性質も、
このブログにはあったわけで。

 そういったものをこのまま全部ワヤにしてよいのか?
と悩んだ末..

 net上で必死のサルベージ作業を実施しました。
数日間。都合20時間くらい費やして。

 とりあえずエントリーを片端から思いだして、
その内容に関連しそうな単語を幾つかあげつつ、
クリップ等と絡めて検索かけて、
net上のキャッシュ(データ)を発見しては、
そのテキストを保存していく作業。

 ..かなり頑張ったのですが、
これで回収できたのは総エントリーの半数程度。
内容は覚えているのに回収できないもの、
エントリーそのものを記憶すらできていないようなものが、
まだ半数近くあって。

 ..その後更に頭を切り替えて、
検索の方法を変えて..
どうにかこうにか都合99%まで回収できたのでした。
それにしても凄いなーキャッシュ。
なんだかんだでこのブログのほぼ全てのテキストが、
netの世界のどこかには、保存されていたわけで。
 それを、回収。
とんでもない時間をかけて。はー。
そのテキストで、新たにブログを全て上書きして。。
(*この過程で、
 ブログ内の強調表現は全てリセットされました)

 で、そうして努力し終えたその翌日には
サーバーの方での不都合が修正され、
破損も消失もしていなかったデータは
綺麗に再生していたのでした(笑)


 ま、お陰でこの機会に、
ここまでのブログのテキストデータを
ブログ外に全てバックアップをとることもできたし。
(A4紙に9ポイントの文字ビッシリで..1000ページ弱。
 我ながら頭の痛くなる量です)

 よかったとしましょう。

やっぱり自分がしてきたこと、
考えてきたこと、それをまとめたものが..
全て消えてしまっては、それは寂しいものだったと思います。


 凄く大げさに言えば..
どこかの瞬間に私が急に○んだりしても、
当面しばらくの間はブログのデータは残る。
キャッシュも残る。
ヘタしたらnetのどこか片隅にであれば、永続的に残る(笑)

 それは私の生きた証にもなるし、
場合によってはまぁ遺言のようなものにも、なる。

 それはそれで結構..
すごいことかもなぁと思ったりするのでした。


 ..流石に、疲れました(笑)

何かを新規に作るならともかく、
散逸したものを探したり再構成したり..
元に戻す、”リカバリー”の作業で大いに時間を使うのは..

 やっぱり精神衛生上いまひとつ、ですねぇ。


 というわけで今月の更新はこの1回。ふー。